カテゴリー別アーカイブ: 弥栄古代史研究室

糺日本書紀 part4

国会では財務省の公文書偽造について野党が激しく官僚および政府を追い詰めていめていましたが、日本書紀や古事記も公文書偽造なので、公文書偽造は大昔からの風習ですね。
これら公文書偽造については刑法155条の3項に違反すると思いますが、素人なので1項と2項と3項の違いがよく判らず、日本書紀や古事記の場合は有印(その時代に印鑑があったのかどうかも初めて考えたのでまた疑問が浮上してますが……)であれば3項に違反するのだろうか?
1項は”どんだけー”とか”背負い投げー”ではないです。それはイッコーや!

続きを読む

糺日本書紀 part3

9月から始まった5回コースの遠賀教室で、その前後や途中に主催者さんには古墳や資料館、古代史にまつわる土地へ連れていっていただきまして、北部九州に王朝があったことは揺るぎない事実になりました。古代の遠賀湾って凄いですね。
それと、以前の福岡教室でアシスタントをしてくれていた女性が遠賀郡の鞍手に自宅があり、その鞍手が面白いのなんのって。

続きを読む

糺日本書紀 part2

てえへんだ、てえへんだ、底辺×高さ÷2だ。
天智天皇って日本書紀に書かれてるように、本当に畿内に来ていたのだろうか?
けど、その前に。

< 遠賀開闢 第1弾"宵祭り">の翌日、遠賀のレディースクリニックにて仙骨をゆるめたことが良かったのか?無事に普通分娩で生まれた”ことちゃん”が3158グラムでした。
その翌日は名古屋の自宅で「諏訪古事記」のゲラの最終チェックしていて気づいたのが、言納(ことちゃん)が出産したタケルが3158グラムになっていることで、マジっすか!
その場面は第1章に出てくるので、原稿を書いたのは半年以上前のことです。
んー、どうしたもんか。

続きを読む

糺日本書紀 part1

part0にも書きましたが、「糺日本書紀」は、”ただす(の)にほんしょき”と読みます。
「諏訪古事記」の原稿を書き終えた翌週、いきなり新しい課題が突きつけられ、今まであちこちに天武天皇を追いかけてきましたが、どうやら次は天智天皇です。つまり双方を知れとのことなのでしょう。

始まりの舞台は福岡で、しかも糸島とか志賀島じゃなくて予想外の遠賀川流域でした。
遠賀川流域には魅力的な古墳がたくさんあり、以前から行きたかった地域なんですが、10月1日に遠賀川の河口付近で急きょ「遠賀開闢 第1弾 “宵祭り”」をおこなうことになってしまいまして、それをpart0で紹介しました。

続きを読む

糺日本書紀 part0

< 遠賀開闢 第1弾"宵祭り">
9月から遠賀川の河口付近の海沿いで福岡整体教室が始まったんですが、会場になっている齋藤シーサイドレディースクリニックのすぐ脇には縄文時代の山鹿貝塚がありまして、まさかの展開に驚きでした。
というのも、山鹿貝塚は九州を代表する縄文遺跡のひとつでして、3500年前(縄文後期)の人骨18体も発見されているんです。
また、クリニックの所有地になってる山には古墳があり、地面を掘れば須恵器がわんさか出てくる面白い森でした。

10月1日の日曜日クラスの終了後にその森で「遠賀開闢」の祭りをおこなうことが9月29日の夜にいきなり決まってしまい、急いで祝詞をつくり、海の幸・山の幸や他にナゼか竜胆(りんどう)の花が必要なので大量に用意していただき、蚊に刺されながら宵祭りをおこないました。

続きを読む

諏訪古事記 番外編その15

武田信玄は自分の遺体を入れた石棺を諏訪湖に沈めさせて敵の目をあざむいたと伝えられています。
それで日本テレビと信州大学が共同で調査したところ、諏訪湖の北方向(諏訪大社の秋宮・春宮側)で湖底に1辺が約25メートルの不思議な菱形を発見しました。これは人工的な遺物なのでしょうか?
そして菱形内のどこかに石棺が置かれているのでしょうか?
ただし、諏訪湖の湖底には約13000年前の縄文草創期に栄えた曽根遺跡が眠っているため、果たして湖底の菱形と信玄の石棺に関わりがあるかは謎のままです。
最近は諏訪湖ニュースがよく聞こえてきまして、「君の名は」の湖が諏訪湖説、2016年夏には諏訪湖のワカサギほぼ全滅ニュース、2017年になり諏訪湖のミステリーサークル話題などなど。次は信玄の石棺が見つかるニュースになるのでしょうか?

続きを読む

「諏訪古事記 番外編その14」

諏訪を含む信濃国で気になる言葉や地名の語源を調べるため次々とアイヌ関連の書籍を買いあさっているうち、とうとうアイヌ語辞典だけでも3冊になってしまいましたがそれでも納得いく答えは得られず、かといってすぐに北海道へ行くこともできないので、まずは三重県の松阪へ行ってきました。松浦武四郎記念館です。
松浦武四郎は幕末から明治初頭にかけて6度の蝦夷地(北海道)探査の結果、いかにアイヌの人々が和人(本州から渡った人)から搾取・略奪・虐待・強姦を繰り返し受けているかを訴え、アイヌ人からは信頼を得たものの松前藩からは命を狙われるまでになり、最終的は明治政府に愛想を尽かして蝦夷地を離れてしまいました。
松浦武四郎は「北海道」の名付け親であり、彼がそれを提案した明治2年7月17日にちなんで、2017年から7月17日を「北海道の日」とすることが道議会で決定しています。

続きを読む

「諏訪古事記 その20」

小谷村でお世話になった小谷温泉の山田旅館は、昔から薙鎌神事の前日に諏訪大社の宮司や薙鎌作りの職人さんたちが宿泊するため、貴重な資料がたくさん残されています。
夕食後、無理をお願いして大女将にお話を伺い、古い書類や歴代の諏訪大社宮司の色紙なども見せていただき、話の途中で”オタリ”の名前はアイヌ語っぽいですねと問いかけたところ、
「先々代(19代目の主人のこと。現在は21代目)が小谷村の”オタリ”はアイヌ語だゆうとりました」
とおっしゃり、やっぱりな。
ただ残念なことに、オタリがアイヌ語だという証拠になるものは何も無いとのことでした。
☆写真1:木造3階建の風情ある山田旅館。帰りに大女将からお土産までいただいてしまい、お世話になりました。

続きを読む

「諏訪古事記 番外編その13」

武田信玄は戦いに挑む際に「南無諏方南宮法性上下大明神」の御旗を掲げていました。”諏方”とは”諏訪”のことで、武田信玄と諏訪地域は切っても切れない関係にあります。
それで、信玄の跡取りで諏訪氏の血を持つ勝頼を調べていると勝頼の母、つまり信玄の妻である諏訪御料人が療養していたとされる岡谷市湊(みなと)の龍光山観音院へと行き着きました。
この龍光山観音院の十一面観音は春と秋、お彼岸の朝のわずかな時間に空からと諏訪湖に反射したふたつの太陽に照らされるんです。
しかもそれが発見されたのはわずか9年前のこと。現在の中島住職が朝のお務め中、十一面観音に陽が当たって突然輝いたとのこと。日本のアブシンベル神殿だ。

続きを読む

「諏訪古事記 その19」

まずは小谷村役場では連日お世話になりまして、ありがとうございました。
薙鎌神事は諏訪大社から宮司が小谷村まで出向き、6年おきの御柱祭り前年に新潟県との県境にある社でおこないます。
薙鎌を御神木に打ち付けるのは小谷村戸土(とど)の「境の宮諏訪神社」と小谷村中股の「小倉明神社」の2社があり、毎回交代でおこなうためにそれぞれの社にとっては12年に1度の行事になります。
それでその社、両社ともとんでもない山奥にあるため役場の柴田さんから詳しく聞いておいてよかったです。役場へ寄らなければ絶対にたどり着けませんでしたし、小倉明神社に至っては一般車輌進入禁止なんですけど看板に気づかなかったことにして…………

続きを読む