「宇陀の歴史は逆さ吊り」

久しぶりに宇陀話題です。
宇陀の地には封じ込めがまだまだたくさんあるようで、宇陀に近付くにつれ「その地へは平身低頭でまいれ」と促されます。
血で血を洗う争いを生き抜いた先人の子孫が、今でもその地で生きながらえているのでしょうか。
宇陀には2箇所に「血原」の名が残っており、宇賀志のそこには血原橋も架かっています。
その血原橋でのこと。
東京の女性からいただきました。

はやさかる

宇陀の血原を訪(おとな)う人の

足音響く地の底深く

宇陀の国栖(くず)めと蔑まれ

うるさき蝿を追うごとく

田螺(たにし)踏まれてことごとく

潰され続けておりしこと

知りて訪ねて参られし

何のえにしか田螺のわれら

訪(おとな)い慰撫(いぶ)してくださりし

腐れ葉は

積まれ積まれて土となり

いつしかこの地の礎(いしずえ)と

なりたる我らと知りて欲し

血で血を洗う戦の末に

かたや戦勝の

勝鬨(かちどき)あげて

舞いて踊るは世の常か

長き時空の旅の果て

よもや我らを訪ね来て

懺悔に感謝されしとは

美しき

光の波は地の底までも

輝き響き渡りたる

これよりは

我ら稲佐(伊那佐)の山に乗り

光の梯(はしご)を登りゆく

有り難きかな この佳き日