「諏訪古事記 その2」

東京からメールが来ました。今回は短いです。
「あわのすわ(阿波の諏訪)」
それだけ。
そして次も短かった。
「そそうの神よ  これ如何に」
短いのは助かりますけど、ナニ言ってんでしょう?

このようなファクシミリやメールは今まで何百回とありましたが、こちらの頭が悪いので理解するまでに数年かかります。

「すすきの穂
たずさえ参れよ  諏訪の地へ
長き時空の旅の果て
いよよ始むる和睦の神事
…………」
(「弥栄三次元」317ページ)これなんて2008年に受け取っていますが、今になってやっと理解できたこともありまして、だとしたらまだ理解できてないこともあるはずだから、深く理解する前に死んでしまうことでしょう。ご臨終です。さようなら。

「そそうの神よ  これ如何に」
そそうの神についてですが、まず思ったことは見えない世界の霊体たちが、粗相ばかりしているボクをからかっているのかと。
まぁその霊体たちって一般的には神と呼ぶ存在なんですけども。
ボクはその霊体たちから、ときには”和睦の王子”と呼ばれたり、ときには”亀仙人”と呼ばれたりしてきましたので、やれやれ今度は”粗相(ばかりしている)神”とイヤミを込めた呼び方かと思いましたけど、そうではありませんでした。よかった。

「そそうの神」は諏訪の神事に登場する三匹の小蛇のことでして、「そそう神」と呼ばれています。
その「そそう神」は12月22日~23日ごろにおこなわれる御室(みむろ)神事や大巳(おおみ)祭で大切な役割を果たす小蛇なんですが、説明できるほど把握してませんので、またいつか取り上げることにします。
また、「阿波の諏訪」についても手を出すと収拾がつかなくなりそうで怖いから聞いてないことにして、まずは御柱(オンバシラ)についてを。

御柱祭は6年ごとに毎回寅年と申年におこなわれる、諏訪大社最大の行事のひとつで、正式には「諏訪大社式年造営御柱大祭(すわたいしゃしきねんぞうえい”ミハシラ”たいさい)」と申します。
御柱をオンバシラではなくミハシラと読みますが、一般的にはオンバシラでいいです。
ただし、御柱祭は氏子たちが自発的におこなう祭りであり、大社側が主催するものではないので、正確には諏訪大社の行事ではなく、諏訪の行事なんです。
次は平成28年なので、来年ですね。
急坂を御柱に乗ってかけ降りる”木落とし”や、宮川を渡る”川越し”は物凄い迫力でして、祭りのどこかでときどき人が死にます。
特に下社の”木落とし”は危険極まりないんですが、諏訪人はそんなこと意に介さないようです。

諏訪の地では御柱祭の年に結婚式や家の新築・増築を控える習慣が残っていて、それだけ氏子にとっては大きなイベントというわけです。
かつてはそれをすると罰せられたらしく、結婚式においても寅年は”(嫁を)トラれる”とか、申年は”(嫁が)去る”ということで、御柱祭の年を避けていました。
もちろん現代は罰せられたりしませんが、今でも婚姻届けは例年に比べて25%ほど少ないそうです。

それほど大切な祭なのに、諏訪の場合は山から切り出した御柱を運ぶのに、地面を引きずって前宮や本宮まで届けます。
急斜面を滑り落ちたり、川を渡って(上社の場合は)20㎞の道のりを引きずって行くため、目的地につくころには片面がどれだけかすり減ってしまうんですよね。
もし諏訪大社へ行ったら立ってる御柱の裏側を見てください。すり減ってますので。

伊勢の遷宮では御柱(ミハシラ)を引きずるなんて考えられませんが、諏訪の場合は山道もアスファルトも引きずるし人が乗るしで、いったい何のための御柱なのでしょう?
聖域を護るために御柱を立てて結界を張るのであれば、四本の御柱を引きずって運ぶとは考えられません。
邪のモノを封じるための御柱なら清らかさなんて必要ないかもしれず、それで引きずって運ぶのでしょうか?
いえいえ、祭りは御柱を切り出す3年前からすでに始まっていて、この木だと見立てた木には注連縄をめぐらせて、切り出すまで大切に管理しています。
なのでダダクサに扱っているわけではありません。

ではナゼ?
残念ながらその問いに答えられる人は諏訪にもいません。
地元諏訪人の長老も歴史資料館の館長も諏訪大社の宮司であっても、御柱祭の真なる意味を答えられる人はもういないんです。
祭りを継承する諏訪人の血の中にのみ、その答えはあるのかもしれません。
続く。