カミさんが逝きました

皆さんご存じかもしれませんが、今年の8月7日にカミさんが他界しました。
3年前から子宮体癌であることは判ってましたが、だからと言ってカミさんが放射線や抗がん剤の治療を受けるはずもなく、ボクとしても”ただの癌じゃん”と、気にしてませんでした。

それからは毎晩のように老廃物のたまった仙骨をゆるめたりしましたし、本人もあらゆる努力をしていましたが出血がひどく、貧血で何度も倒れていまして、ヘモグロビンの値が4、8とか5、3とかになっていました。
一番ひどかったときの数値が2、7で、それって死んでるでしょう。
倒れるたびに輸血はしてもらうんですが、カミさんはそれさえも嫌だったようで、強いと言えば強い。

そんな訳で本人は
「(西洋医学の)治療を受けるぐらいなら死を選ぶ」
と申しておりまして、あれこれ努力をしていましたが、本人の判断ミスで腎臓をダメにしてしまい、本当に死を選んで逝きました。
最後は愛知県日進市のホスピス病棟にお世話になり、入院して41日目で旅立ったんですが、「41」かよ。

というわけで、最後まで自分の信念を貫き通した力強く立派な生きざまだったと思っています。
カミさんの頑なさに比べればボクなんて甘い甘い。
もっともっと流されない自分でいなきゃと思います。
協調性よりも妥協しないこと。
ボクがカミさんに送るはなむけは、ボク自身のそんな生きざまです。

皆さんがいろいろと心配してくださいますが、我が家はボクも健太もカミさんの生きざまに納得しているため、家族を失ったときの一般的な悲壮感はほとんどなく、健太は中国の大連で学び、ボクはハチと平穏に暮らしています。

ボクは泊まりの仕事が多いので、ハチにさみしい思いをさせたくないためにハチをどうするべきかいろいろなことを考えましたが、ひとまず今は一緒に仲良く暮らしています。
こんな姿を見たら、たとえさみしい思いをさせようとも、それを補えるよう大切にしたいと思うでしょ。

カミさんが生前にお世話になった皆様、本当にありがとうございました。