[骨の妙味 16]

背に降りつしは 秘めたる力
歪みがありては 秘めたまま
背折りつ姿勢は 閉ざした死生
背すじそらせば 道すじそれず
……………

京都上賀茂神社は摂社・末社のひとつ「梶田社」で、瀬織津姫より言納へ。
(「日之本開闢」42ページ)

背に降りつしは 秘めたる力………背・降りつ・秘め………瀬織津姫。
背骨を糺すことは瀬織津姫のミハタラキのひとつであるんですが、最近はその事を忘れてました。
ですが、それを思い出させるためか今年に入ってから強烈に「143」の数が何かを訴えていて、しかし個の名を持つ神を追いかけるのはもう止めたので「143」は別の意味に解釈して、瀬織津姫については考えないようにしていました。
すると………

背に気を通すは背降りつ(瀬織津)の
天地をつらぬくミハタラキ
背保根(背骨)のつまりは背降りず(非瀬織津)に
閉じた奥の戸
意気止まり(行き止まり・息止まり)

背骨に気を通せと。
瀬織津姫のミハタラキは祓い戸の神として、水の女神としてだけではなく、人の背骨を糺すことをしている人に降りてくる力がありまして、それをしっかりと意識することが必要なのかもしれません。

瀬織津姫は他にもいろいろな名前で祀られていまして、そのことについては専門に調べられてる人がいらっしゃいますが、整体教室の生徒さんは、瀬織津姫が祀られる社を訪ねてみるのもいいでしょう。
もちろん、社へ直接行かずとも、大切なのは意識することですが。

祭壇のみが祈りの場
人よ思うておらるるが
いずこにおりても祈りの場
一歩一歩のあゆみさえ
祈りとなりておることを
知りてお暮らしくだされよ
(「臨界点」326ページ)

整体教室でも春から始まる新たなクラスでは、そのようなお話しもお伝えしてまいります。
脱神社宣言をして以来、強く必要性を感じない限りは神社へ参拝することを避けていました。
社の前での参拝は、ついつい神と自分を分離させてしまうため、いい加減それが止めたくての脱神社宣言だったわけです。
けど、不必要に外側の神を追いかけることを卒業できた今となっては、整体教室の生徒さんと瀬織津姫を訪ねるのもいいかもしれませんね。
「143」が”瀬織津姫”を意味しているのなら、それも授業の一環として考えてみます。
※「143」は他にもたくさんの解釈があるため、=瀬織津姫とは限りません。

4月で名古屋の熱田教室、第2期福岡教室の土曜日コース・日曜日コースが終了しました。
5級認定者さんたちの上達は素晴らしく、ほんの僅かであっても国家の医療費が削減できるので、5月からの新しい教室が楽しみです。

関東は会場が決まり次第、スケジュールを考えてみます。
福岡第3期につきましては、土日でどちらかを5級コース、もう一方を4級コースで9月のスタートを予定しております。