[骨の妙味 22]

数霊シリーズの主人公として活躍する健太はかれこれ10年ほど前に、長野県は木曽御嶽山の七合目に祀られている「田の原大黒天」から、こんな教えを受けました。(日之本開闢270ページ)
確かにこれなら裕福であり続けられます。
なるほど、そうか。「田の原大黒天」のおっしゃる裕福さとは…………

何も持っておらずとも
すべてが足りている自分をつくりなされ

手ぶらであっても
何も足りないものがない自分でいなされ

ただそのままで
全部の力を出しきれる自分になりなされ

どんなときでも困りはせんぞよ
どこへ行っても安泰ぞ

たしかにそうなることが出来れば、どこへ行っても何が起きても安泰でしょう。
あれが無ければ困る、これが無ければ出来ないでは、力が発揮できませんですから。
ただし、これは健太に与えられた課題であって、すべての人にそのまま当てはまるわけではありません。
調理人は調理するための道具や食材が必要ですし、器にだってこだわりがあるはずです。
理容師はハサミが無ければ力を発揮できないし、商売人は商品がなければ商売にならないですもんね。
むしろ、何も持っておらずともすべてが足りていたり、手ぶらであっても何も足りないものがない仕事の方が少ないのかもしれません。

背骨の訴えを察して相手の生きる力を呼び戻してあげられるなんて、まさに田の原大黒天の教えそのままですよね。
不思議なんですけども、その人をいつどこで整体したのかさっぱり思い出せなくて、本当にこの人を整体したことなんてあるんだろうかと疑っていても、背骨を触ると思い出すんです。
あぁーこの人か、って。

背骨の歪み方、触れた感触(柔らかさや固さ)、飛び出し具合、それらに個々の特徴があり、それが個性になっているわけで、必ずしも歪んでいることが絶対的に悪いわけではありません。
むしろ、まっすぐであってもガチガチに固まっていることの方が問題です。

個々が持つ情報を背骨から得られるようになるまではある程度の経験が必要ですが、田の原大黒天の教えを少しだけでも身につけることを望んでいらっしゃるのなら、整体教室で新たな世界をお伝えできると思います。

以前、他で書いたかもしれませんが、ある大物女性歌手にどきどき整体を依頼されまして、その骨盤の柔らかさは何度触っても抱きつきたくなるほどしなやかです。
けど、こちらは骨に抱きつきたいだけでも、世間は肉に抱きついたと判断するため、今のところは我慢してますけど。

あの骨盤の柔らかさ・しなやかさは、夢を叶えるための大きな要因なのではないでしょうか。
その女性歌手だけでなく、ピアノを弾きながら歌う女性歌手もミュージカルの大スターも、大きな舞台で活躍するアーティストは骨盤に同じ柔らかさ・しなやかさがありました。
その柔らかさ・しなやかさこそ、多くの人が欲し望む財産なのかもしれませんね。自分の夢を叶えるための。

何も持っておらずともすべてが足りていて、手ぶらであっても何も足りないものがない自分でいられるよう、健太のように田の原大黒天の教えをもっともっと身につけたいと思います。