7月17日

7月17日はノアの方舟がアララト山に漂着した日であり、祇園祭りの山鉾巡業の日でもあり、剣山でもお祭りがおこなわれていますね。
方舟、祇園祭、剣山はそれぞれユダヤ、シオン(ギオン)、アークを連想させ、数霊シリーズで何度も取り上げてきました。
また、7月17日は1月17日の年対称日でもあります。

その7月17日に民間の旅客機がミサイル攻撃を受け……

エジプト北東部の端にあたるガザ地区は、1967年6月の第3次中東戦争でイスラエルが奪った土地のため、現在の中東情勢は非常にややこしいです。
1967年6月5日、エジプト・ヨルダン・シリアが同時にイスラエルを攻撃しようとしたのが第3次中東戦争の始まりですが、イスラエルの諜報機関モサドは現地に植え込んだエージェントから、攻撃の時間や規模など正確な情報を得ていました。
それでアラブ諸国の攻撃を受ける直前にイスラエル側が攻撃を開始し、わずか6日間で相手国の戦闘能力を潰してしまったんです。
なので第3次中東戦争を”6日戦争”とも呼びます。

当然のことながらエジプトはガザ地区をイスラエルから奪い返そうとしましたが、1973年10月の第4次中東戦争(日本では紙不足のためにトイレットペーパーを奪い合った原因がこの戦争)でも敗北し、とうとうエジプトのアンワル・エル・サダト大統領が、アラブ諸国では初めてイスラエルのクネセット(国会)を公式訪問し、1979年3月26日にエジプトとイスラエルは和平条約を結びました。

しかし、勇気あるサダト大統領はアラブ諸国から裏切り者あつかいされ、1981年10月6日、イスラム原理主義者によって暗殺されてしまいました。残念です。
個人的なことですが、今でもサダト大統領は政治家としてもっとも尊敬しています。

第4次中東戦争でイスラエルは、初めて相手国からのファースト・ストライクを受けてしまい、大打撃を被りました。
その損害があまりにも大きかったため、時の首相ゴルダ・メイヤは核兵器使用の許可を出し、核弾頭を積むミサイルまで移動させていたそうです。
それに待ったをかけたのがアメリカ政府でして、たまにはまともなこともするじゃねーか、アメリカ政府。
ガザを理解するにはまだ説明が足りませんが、戦闘が本格化する状況の中で、大きな意味を持つ「7月17日」にウクライナで民間の旅客機が撃ち落とされたとなると、イスラエルだけの問題ではなく、全世界的な開戦前夜の様相を呈してきているのでしょうか。

憶えてますか?
1989年~1991年の、東欧諸国民主化、ソビエト連邦崩壊、ワルシャワ条約機構解体のあの大転換期を。
先日の岡山講演か神戸講演でもお話ししましたが、あの時と同じニオイがするんです。
天安門事件も1989年でして、第2次天安門事件も秒読み段階に入っているようですが、7月17日とは今のところ結びついてないので話を戻します。
続く。