「遷都信濃国 vol.3」

大海人皇子。おおあまのおうじ、即位前の天武天皇です。
この”おおあま”って何でしょう?

大海人皇子は尾張の国とも縁が深く、大海人の”アマ”は海部氏の”アマ”ではなかろうかと考えられています。
また、海部氏といえば丹後の籠(この)神社を思い出しますね。
籠神社の御祭神は天火明(アメノホアカリ)、ニギハヤヒであり、海部氏始祖にあたります。
尾張連はニギハヤヒの子アメノカゴヤマが祖でして、んー、天武天皇はどのような繋がりがあったのでしょうか?
そして尾張氏とは?
尾張氏は近江や丹波とともに歴史から葬られたままになっていますので、ぜひとも謎を明かしたいです。

ヤマトタケル(と呼ばれてる人)に戻りますが、父(ということになっている)景行天皇には、美濃の久々利(くくり)から八坂入姫なる娘が嫁いでいます。
八坂入姫は第13代成務天皇の母であり、ヤマトタケルにとっては叔母さんになります。

八坂入姫の父は八坂入彦。
八坂入彦の父は第10代の崇神天皇で、母は尾張大海媛。
ん、大海?

崇神天皇と神武天皇が同一人物かどうか………その時代は”天皇”なる呼称がまだないため、本来は”大王(おおきみ)”とか”大君”とすべきですが、世間に合わせることにして………崇神=神武か否かは置いときます。

崇神天皇の后に尾張の大海媛?
しかも皇子の名前が”八坂”入彦で、その娘が”八坂”入姫とな?
何で美濃の田舎の久々利に、最上位を表す八坂の名前が複数残っているのでしょう。
久々利には宮内庁が管理する八坂入彦の陵墓がありますが、崇神天皇の皇子であるにも拘わらず何で人知れず田舎にひっそりと………入彦の母が尾張氏の血筋なので、注目してもらっては困るのでしょうか?

“八坂”の元は”弥栄(いやさか)”であり、それは古代ヘブライ語の”ィヤサカ(またはィヤッサカ)”が語源とされています。
みだりに神の名前を口にすることを禁じられていたヘブライ人が、神に”おぉ神様”と呼びかける言葉が”ィヤサカ”とか”ィヤッサカ”なのだとか。
なので日本でも大王たるスサノヲを祀る社に最上位を表す”八坂”の名が与えられている、とすると………

神話では潰されてしまった諏訪のタケミナカタ神。
そのタケミナカタ神の妻神の名も八坂刀売(ヤサカトメ)神。
ナゼ負け犬として描かれてるタケミナカタの妻神が”八坂”の名を持つのか?
実はタケミナカタと妻神は大王と呼ばれるほどの地位があったので”八坂”が付けられたのか、それとも歴史から消してしまった罪滅ぼしに”八坂”の称号を与えて魂鎮(たましずめ)としているのか?
はたまた”八坂”は秦氏系の血筋だからなのか?
もし最上位としての称号か、または罪滅ぼしで”八坂”の名が与えられたのだとしたら、美濃の久々利や諏訪の地ではその昔いったい何があったのでしょう。

同じく美濃の山の中、神渕(かぶち)神社の御祭神スサノヲは、672年6月に天武天皇が自ら祀ったと記録されています。
もしこの記録が正しければそれは壬申の乱前夜、壬申の乱イブのことですが、神淵神社についてはvol.4で。

久々利の八坂入彦と八坂入姫父娘。
実際は親子なのか兄妹なのかは判りませんが、何を消されて八坂にされたのでしょう?
そして歴史は尾張氏に何をしてくれたのでしょうか?

ボクは生まれ育ちが名古屋なので、尾張氏を持ち上げすぎると我田引水に思われて嫌だから、地元はあんまり触れたくなかったんですけどね。
だってうんざりでしょ。邪馬台国はオラが村さにあったって説く話。

続く