「遷都信濃国 vol.12」

「8」の話をしましたが
「1+2+3+4+5+6+7+8=36(ミロク)」
これを「苦(9)なしの理(ことわり)」と呼ぶのだそうです。
苦なし、です。苦なっしーではありません。
クナッシー、クナッシー…………違うから出てくるなって。

さて本題です。
前回、突如として乱入?してきた八坂入彦命ですが、父は第10代崇神天皇で、母は尾張大海(オオアマ)媛になります。
尾張大海媛はニギハヤヒ尊から8代目、尾張氏の祖である天香語山命からだと7代目にあたる建諸隅(タケモロズミ)命の妹です。

大海媛の息子が八坂入彦。
八坂入彦の娘は八坂入姫。
八坂入姫は第12代景行天皇に嫁いでいますが、景行天皇は架空でしょうからそこは保留にして、問題はその息子と孫と曾孫です。

続き

八坂入姫の息子に五百木(イホキ)入彦がいまして、第13代成務天皇の弟です。
ただし、成務天皇も実在が疑わしいので、創作したであろう藤原不比等氏の思惑を探ってみないことには何とも判りません。

五百木の名は銅の生産に関わる名前のようですが、ここではそれも置いておき、五百木入彦の妻は志理都紀斗売(シリツキトメ)と申します。
志理都紀斗売は建稲種命の娘です。
建稲種命はニギハヤヒの13代目にあたりまして、尾張氏の長なんですが、妹のミヤズ姫がヤマトタケルに嫁いでいるため、ヤマトタケルの義理の兄になります。

五百木入彦は尾張氏系。
妻の志理都紀斗売も尾張氏系。
この二人から生まれた誉田真若も当然尾張氏の血筋でして、妻がこれまた建稲種命の娘の金田屋野姫なので、このあたりは尾張氏だらけです。
さてさてそれで、誉田真若と金田屋野姫の間に三姉妹が生まれているんですが、ナゼかこの三姉妹は第15代応神天皇に嫁いでいるんです。
これは何がどこでどうなってしまったのでしょうか?

ちょっと怪しい話なんですけど、この尾張三姉妹のことを神話ではスサノヲが生んだ宗像三女神として描かれてる説や、宇佐八幡の一ノ御殿は応神天皇が祀られているからニノ御殿に祀られているヒメ神はこの三姉妹ではなかろうか説などがありまして、鵜呑みにするわけではありませんが、それなりに訳もあるんです。

◎スサノヲが八岐大蛇を退治して、大蛇の尻尾から出てきたのはアメノムラクモ剣。
アメノムラクモ剣は後に草薙剣なんていう可笑しな名前にされ、尾張の国の熱田神宮に納められています。

◎伊勢神宮外宮の神官である度会氏の祖は天牟羅雲(アメノムラクモ)とのこと。
外宮の本来の御祭神はニギハヤヒと切り離すことはできませんし、内宮信仰に移ったのは明治政府の策略でして、明治以前の伊勢は外宮信仰が中心でした。

◎ニギハヤヒから3代目にあたる尾張氏は天村雲(アメノムラクモ)命です。
アメノムラクモって元々は剣の名前ではなくて人の名前だったのでしょうか?
それとも、ニギハヤヒから受け継いだ剣をアメノムラクモが持っていたからか剣がそう呼ばれているのでしょうか?

こうなってくると、スサノヲを悪者に仕立てておきなが、実際は朝廷が尾張氏から奪った剣こそがアメノムラクモ剣なのかと思えてしまう………いえ、実際にそうですし、尾張氏の三姉妹は、スサノヲがアマテラスとの誓約(うけひ)によって生まれたことにしている宗像三女神をもって、神話の中に隠されてしまったのかなんて勘ぐりたくもなってしまいます。
それにスサノヲの妻イナダ姫とタケイナダネの名前が似てることまで気になってきてしまいまして、けどそれは飛躍しすぎですので止めます。

ニギハヤヒと御炊屋(ミカシキヤ)姫との子ウマシマチは物部氏の祖となり、ニギハヤヒと天道日女(アメノミチヒメ)命との子アメノカゴヤマは尾張連や熊野連の祖になっています。
アメノカゴヤマって大和三山にある山の名前と同じですよね。
人の名前と山の名前。人の名前の方が早いです。
大和三山のアメノカゴヤマは第38代天智天皇の御世以降の名前でしょうから。それまでは別の名前で、多分ですが高山でした。
恐らくは奈良県宇陀市の大宇陀にある赤土の山こそが、実は本当の香語山(香久山)でしょう。

ニギハヤヒ・アメノカゴヤマから始まる尾張氏で、初代尾張氏であるアメノカゴヤマは山の名前にされ、2代目アメノムラクモは剣の名前にされ、その後も藤原家が台頭してくるまでは次々と天皇に娘を嫁がせていた尾張氏。
不比等が躍起になって潰した尾張氏とは、どのような豪族だったのでしょう?

続く。