「諏訪古事記 番外編その14」

諏訪を含む信濃国で気になる言葉や地名の語源を調べるため次々とアイヌ関連の書籍を買いあさっているうち、とうとうアイヌ語辞典だけでも3冊になってしまいましたがそれでも納得いく答えは得られず、かといってすぐに北海道へ行くこともできないので、まずは三重県の松阪へ行ってきました。松浦武四郎記念館です。
松浦武四郎は幕末から明治初頭にかけて6度の蝦夷地(北海道)探査の結果、いかにアイヌの人々が和人(本州から渡った人)から搾取・略奪・虐待・強姦を繰り返し受けているかを訴え、アイヌ人からは信頼を得たものの松前藩からは命を狙われるまでになり、最終的は明治政府に愛想を尽かして蝦夷地を離れてしまいました。
松浦武四郎は「北海道」の名付け親であり、彼がそれを提案した明治2年7月17日にちなんで、2017年から7月17日を「北海道の日」とすることが道議会で決定しています。

彼が残した151冊の調査記録、9800のアイヌ語地名を書き込んだ北海道の地図は今でも貴重な資料であり、記念館では映像でもそれらを紹介しています。宇梶さんも出てました。

学芸員の山本命さんはアイヌの歴史にも現代の問題点にも深く精通されていて、ボクは電通の十訓みたいに一度つかまえたら絶対に離さない的な質問攻撃を開始したところ、あれこれ詳しく教えていただけました。
それでアイヌについては判ったことがたくさんありましたが、やはり諏訪(信濃国)との結び付きは得られませんでした。残念。けどまた行こう。
最後に館長さんまでわざわざ名刺を持って挨拶に来てくださり、ご丁寧にありがとうございました。
☆写真:以前から欲しかったアイヌの楽器”ムックリ(ムックル)”

調べているうちに気が付いたんですが、諏訪とアイヌの関係について書かれた資料の中には、縄文人=アイヌ人として捉えているものがたくさんあり、それは縄文人であってもアイヌ人ではないだろうというものまでがアイヌ人になっているんです。
ひょっとしたら昭和50年ごろまでは縄文人=アイヌ人と考えていた習慣があったのでしょうか、縄文時代の遺跡がアイヌ人の住居跡になっていたりして、近年まではそのあたりが曖昧だったのかもしれません。
けど仕方ないです。明治になると皇国史観の押し付けにより天孫降臨から日本は始まり、天皇家が万世一系であるためにも日本は弥生時代から始まったことにしなければならず、縄文時代なんて無かったことになっていたんですから。小学校の先生が嘆いてましたよ。縄文時代は無かったことにされているから、弥生時代からしか教えてはいけなかったって。

アイヌ人から奪った北海道を無理やり日本の領土に組み入れ、決してアイヌ人には返そうとせずに日本固有の領土だと主張しているくせに、ロシアに奪われた北方領土は返せと迫る。
琉球についてもそう。沖縄を無理やり日本国に併合しているくせにナゼか日本固有の領土になっちゃってて、返す気などないのに他国には奪われたくないのね。勝手なことですこと。
特に沖縄については明治14年2月に石垣島で調印されることになっていた明治政府と清国(現在の中国)政府の取り決めは、なんと宮古島・石垣島・西表島などは清国の領土として、その代わりに琉球(沖縄本島)は日本の領土とすることだったんです。
けど、それでは困る琉球王国が清国に調印中止を懇願したことで清国は明治政府に調印の延期を申し入れてますが、調印してたら尖閣諸島どころか宮古島も石垣島も西表島も波照間島も中国の領土になっていましたよ。
琉球王国にとって、明治政府から自分たちを護ってくれる味方は清国でした。また、大戦中はアメリカ軍を”侵略軍”とは呼ばずに”解放軍”と呼んだ人がいたのは、アメリカこそが沖縄を日本から解放してくれると期待したからなのでしょう。何をしてんの日本政府。
中国が先島諸島(宮古島・石垣島・西表島など)には手を出さず尖閣諸島だけを自国の領土と主張しているのは、優しいのか中国政府。
あれれれ、諏訪とアイヌの話だったのがいつのまにやら沖縄へ行ってしまいました。

2016/11/26  0:56

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