数霊シリーズ第8弾の「諏訪古事記」にも書きましたが、天武天皇は日本書紀によると天武15年に亡くなっていることになっていますが、おそらく天武11年に天皇の立場を追われて逃げたか、あるいは殺されているはずです。
天武15年は”朱鳥(あかみとり)”という元号になっていますが、判りにくいので天武15年のままでいきますね。
日本書紀の天武期を読むと壬申の乱以外はあまり面白くなく、それが天武11年まで続くんです。
ところが天武11年の途中から、”あんた、どないしたねん”と思うほど内容が変わりまして、つまり天武天皇から他の誰かに入れ替わったことを日本書紀の編者は伝えてくれているんですね。
月別アーカイブ: 2018年6月
火山と”63”
この話題、興味本位だけで話すのは不謹慎なのですぐには出せませんでしたが、数霊話題を少々。
2018年6月3日、グアテマラにあるフエゴ火山が大噴火して、麓にあるエル・ロデオの町で大きな被害が出てしまいました。
6月3日といえば、1991年の6月3日に雲仙普賢岳が噴火し、発生した火砕流により42名が亡くなっています。
数霊で”火山”は
カ=6、ザ=56、ン=1
なので、合計「63」になります。
2014年に噴火した木曽御嶽山の死者・不明者の数は63名です。
これをどう解釈すればいいのでしょう?
糺日本書紀 part7
これまで高市(タケチ)皇子の父は天武天皇と考えられてきました。
壬申の乱においても高市皇子は大海人皇子(のちの天武天皇)に味方をしており、そのことについても疑問視されることはありません。
しかし高市皇子の父は天智天皇です。
ではなぜ壬申の乱で同じく天智天皇を父に持つ大友皇子側につかなかったのでしょう。母は違っても兄弟なんだから。
実は高市皇子にとって一番の敵は身内にいて、それが同じ父を持つ大友皇子です。
高市皇子にとっては自分が即位するために大友皇子が邪魔で仕方ありません。
そこで高市皇子は壬申の乱で、大友皇子にとって最大の敵である大海人(天武天皇)と”敵の敵は味方”同盟を結び、親子の契りを交わして近江王朝側と戦ったんです。その契りから高市皇子は天武天皇の皇子ということになりました。
糺日本書紀 part6
以前にも触れましたが、万葉集から日本書紀をひもとくと、天智天皇は間違いなく皇太子ではなくなってしまうんですが、実際にそうなのか、あるいは天武天皇側の誰かがそのように天智天皇をおとしめたのか?
万葉集のルールとして
☆天皇の歌は”御製歌”
☆皇后や皇太子の歌は”御歌”
☆その他は”歌”
とされていまして、例外はありません。約1名様を除いては。それが中大兄皇子(後の天智天皇)です。
中大兄皇子は皇太子であるにもかかわらずその歌がただの”歌”になっています。本来なら”御歌”とされなければいけないのに。
しかも作者名が中大兄になっていて呼び捨てなんです。皇太子が呼び捨てになっているのはこれも他に例がありません。通常は必ず名前のあとに”皇子”または”尊(命)”が付けられるのですが。
しだみ古墳群とハチの散歩
名古屋市の北東部最果てに位置するしだみ古墳群エリアから我が家は100メートル外れてしまっていますが、小中学校の学区なので昔からいつも古墳で遊んでいました。
それに若かりし30数年前、こんな田舎には夜中まで営業している店なんて無かったので、高校生のころはワルい仲間たちと深夜に古墳でたむろしてたんです。なんて素朴な不良なんだ!
そんなしだみ古墳群では2018年度にガイダンス施設も完成(予定)するようで、古墳の整備もかなり進んでまいりました。
「碧南整体教室」のご案内
愛知県碧南市にて7月22日(日)スタートの整体教室5級クラスが開催されます。
最近は教室のメインのひとつである肩甲骨について、腕の疲れによる腰痛も、肩甲骨まわりの筋肉をゆるめることで腰を楽にする技術を5級クラスで学んでいただいています。
もちろん肩こりや肩の痛み、首の張りなどにも対処できる技術もしっかりやります。
また、発達障害のお子さんにも対応できるよう、頭の1番(頭部第1調律点)は今まで以上に時間を取ることにしました。
頭の1番をゆるめると高ぶった神経が鎮まるため、アトピー性皮膚炎の痒みにも効果がありますし、他にも………書ききれないため教室でお話しいたします。
詳しくは[骨の妙味]をご覧ください。