月別アーカイブ: 2016年8月

「諏訪古事記 その18」

ヌナカワヒメを探りに新潟県の糸魚川へ行ってきました。
糸魚川のヒスイは出雲や九州でも見つかっているので古くから全国各地と交易があったのかと思いきや、縄文時代の後期中葉(約4000年前ぐらい)までは東北~中部の東日本だけが流通域で、まだ出雲や九州など西日本へは行ってなかったんですね。
文化の中心が西日本に移るのは弥生時代からで、縄文時代は遺跡の数だと圧倒的に東日本のほうが多いですし、話題性のある魅力的な縄文土器はすべて東日本で出土しているので、”縄文の東日本、弥生の西日本”はヒスイの流通からも知ることができました。
そんな糸魚川からある時代になるとヒスイ製品も職人集団も突然消えてしまったんです。
ヤマト朝廷の仕業かっ!

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「諏訪古事記 その17」

「遷都信濃国」で何度も取り上げましたが、なぜ諏訪は信濃国から独立させられたのでしょうか?
それは天武天皇の意志を継いだ長屋王の思惑によるものだったか?
また、諏訪を好意的に保護しつつ律令制の整備が目的での諏訪国独立か、それとも朝廷に従わない”まつろわぬ者ども”を敵対視して隔離するためなのか。理由がどちらなのかによって導き出される答えが正反対になります。

長屋王が即位していたか否かは別として、実権を握っていたのが721年1月~729年2月まで。2月12日に自害したことになっています。実際は妻子4人と一緒に殺害されたのでしょうけども。

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「祝 41」

“リオ”って数にすると「47」で、「47」は都道府県の数であり、いろはにほへと………が47音、ひふみよいむなや………も47音なので、日本人に関わるどんな数が出てくるかを楽しみにしていたところ、メダルの数が「41」でした。
「41」はミロク方陣の中心の数であり、”神”とか”信念”とか”才能”なので今さら説明するまでもありませんね。
おめでとうございます。

それと、選手の皆様。日本の代表になるだけでも尊敬するに値(あたい)しますので、結果について謝るのはやめてください。誰一人として責めていないと思います。

「諏訪古事記 その16」

アイヌとオタリ村(長野県北安曇郡小谷村)が結びつき、他にも調べなければならないことがあるため久しぶりに白馬村・小谷村方面へ行ってきます。
そして今回は県境を越えて翡翠の産地新潟県の糸魚川へも。タケミナカタの母であるヌナカワヒメのお里ですが、翡翠を産出する姫川の古名は”ヌナ川”といい、だとするとタケミナカタの母がヌナカワヒメなのではなく、タケミナカタの生まれた地がヌナ川(糸魚川)近辺なのかもしれないですね。

すると出雲はどうなるんだと疑問がわきますが、諏訪入りしたアイヌ人は日本海側から来たとも考えられるため、当然のこと日本海側には他の地域にもアイヌ人が暮らしていたとしても不思議ではありません。

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「締め切りのお知らせ」

9月22日の名古屋数霊セミナー&ワークと、10月22~23日の諏訪ツアーはいつの間にか定員をオーバーしていましたので、募集を締め切らせていただきます。
ありがとうございました。

尚、諏訪ツアーは御柱を曳くときに手袋(軍手でも可)が必要になりますので、ご持参くださるようお願いいたします。

「茅野市縄文ふるさと応援団」

長野県も諏訪市も白馬村もボクを観光大使にしてくれそうにもないので、自らすすんで”茅野市縄文ふるさと応援団”に入りました。団員No.0936の深田と申します。
最近「数霊屋総本家」には諏訪関連のこと以外ほとんど何も書いておらず、しかも多くが諏訪大社の上社(前宮・本宮)地区話題です。
けども上社地区は現在の行政区ですと、大きな茅野市全部と小さな原村と原村よりは大きいけど人口が少ない富士見町と諏訪市の一部で成り立っていて、要するに茅野市とその周辺が諏訪大社上社地区になります。
諏訪大社の御柱祭りも、上社の場合は御柱を曳行する14~15㎞のうち、前宮4本はほとんどが茅野市内で少しだけ原村内を、本宮4本も同じですが最後に1㎞だけ諏訪市内を曳きまして、主なる舞台は茅野市です。
そして茅野市といえば”縄文のヴィーナス”と”仮面の女神”………

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「諏訪古事記 その15」

岡谷市川岸地区のルパン三世大総代からいただいた資料の表紙にはナゼか”マル秘”マークがあり、ページをめくると川岸の熊野神社について書かれていました。
この熊野神社は10月の御柱祭りで里曳きと建て御柱に参加させていただく予定ですが、マル秘資料によると
「熊野神社の所在地はアイヌ人の遺跡である。この遺跡は太古、天龍川岸の時代にアイヌ人の漁場であった事が出土品から証明されている…………」
えっ、アイヌ人ですって?
天龍川岸の時代という表現がいまひとつ捉えにくいところですが、この地域は諏訪湖から天竜川が流れ出たほんの1㎞あたりの地区でして、多くの人々が川沿いに寄り添って暮らしていた時代のことでしょうか?
とにかく、資料をそのまま信ずるならばここにもアイヌ人が来ていたわけで…………

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「諏訪大社下社遷座祭・お舟祭り」

2月1日に秋宮から春宮へ遷座した御神霊は7月末に春宮でのハタラキが終わり、8月1日には春宮から秋宮へ移ります。そして毎年、春宮から秋宮への遷座祭ではお舟祭りも同時におこなわれます。
このお舟祭り、翁(おきな)=タケミナカタと媼(おうな)=ヤサカトメを乗せた柴舟が氏子さんたちによって御柱のように曳行されるんですが、大きなお舟を途中で横倒しにするんです。もちろん翁も媼も宮司も氏子も乗ったままで。諏訪の氏子は恐ろしい!
何しろお舟を横倒しにしたり戻したときの衝撃ときたら、しっかりつかまってないと吹っ飛ばされるほどで、岡谷市川岸地区の笠原大総代も若かりしころに乗ったらしいんですが、すぐ隣りに乗っていた人は衝撃で飛んで行ってしまって3ヶ月入院したそうです。

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