子供が中国の大学に留学しているんですが、書道が楽しくて仕方ないみたいなんです。
それで、卒業論文も書道についてをテーマにしたようで、いつもこんなメールを送ってきます。
最近は古代史についての調べ事があまりにも忙しく、弥栄古代史研究室もほったらかしになっているので、親子のメールのやりとりで繋げておきます。
【子より】
ちょうど今、日本の書の歴史についても調べていて、厩戸皇子が記した書が天皇家の使ってる書体にとても似ているとかですが、まともに書道が伝わって来たのがちょうど厩戸皇子の時代だったり、そもそもこの書体が確立されたのが平安時代だったりと色々不可解なのですが、厩戸皇子は結局誰がいつ想像した人物なのですか?
それでもってその書体が中国には存在しない日本独自の書体ということになっていて、実際に中国で厩戸皇子の書いた筆体の特徴を捉えているものは少ないというか、ほとんどなさそうです。
それはかなり漢字伝来の時期の中国の主流の書体とは異なっていて、まぁ中国の具体的にどの地方から伝わったのかとかよくわかってないから何とも証明しようがないけど、とても1人の人が確立したとは思えないような書風です。
いったい、どうなっているんでしょうか?