「糺日本書紀 part8」

数霊シリーズ第8弾の「諏訪古事記」にも書きましたが、天武天皇は日本書紀によると天武15年に亡くなっていることになっていますが、おそらく天武11年に天皇の立場を追われて逃げたか、あるいは殺されているはずです。
天武15年は”朱鳥(あかみとり)”という元号になっていますが、判りにくいので天武15年のままでいきますね。
日本書紀の天武期を読むと壬申の乱以外はあまり面白くなく、それが天武11年まで続くんです。
ところが天武11年の途中から、”あんた、どないしたねん”と思うほど内容が変わりまして、つまり天武天皇から他の誰かに入れ替わったことを日本書紀の編者は伝えてくれているんですね。

日本書紀を読んだことがありますか?
いや、デタラメだらけなので別に読まなくてもいいんですが、天武期を少し紹介するとですね、何月何日に大地震があったとか、何月何日に雹(ひょう)が降ったとか、何月何日には日蝕があり、その2週間後に月蝕があったとか、何月何日は彗星が見えたとか、そんなことが頻繁に出てくるんです。

そもそも日本書紀における地震は民衆の反乱などを表してますし、日蝕や月蝕は朝廷内での天皇に対する反発やクーデター未遂などのことであり、天皇の地位に陰りが見えてきたことを伝えているのでしょう。
地震なんてしょっちゅう起こってますよ。中には本当の地震もあるでしょうけど、いかに豪族たちの反乱が多かったことか。
“彗星が見えた”とは、今の天皇を排除して次に天皇の座につく人物が動き始めたということか、そうでなければヒットマンが現れたということなのでは?
ヒットマンが狙っているのはもちろん天武天皇です。
天武10年の内容を部分的に抜き出すと、3月21日に地震があり、4月2日は広瀬・竜田の神を祀った。
6月24日にまた地震があり、7月1日には朱雀が現れた。10日は広瀬・竜田の神を祀った。
とこんな調子で、9月10月にいたっては次の4行が並んでます。
☆9月16日に彗星が見えた。
☆9月17日に火星が月に入った。
☆10月1日に日蝕があった。
☆10月18日に地震があった。
と。そして少し他をはさんで11月2日に地震があり、翌年の天武11年になっても1月19日に地震があり、3月7日にも地震が起きてまして……………もう飽きた。いい加減にしろって、日本書紀。
まぁこれは天武期に限ったことではなく持統期もふざけてまして、おそらく藤原不比等氏の仕業でしょうが、高市持統を消して代わりにウノノサララ持統にしてあるので、つまんないったらありゃしませんよ。

なんですが、天武期は天武11年の途中から急にまともな内容が増え始めるんです。
そして12年2月1日には大津皇子が初めて朝政をお執りになったとありますので、おそらく前の年の天武11年に天武天皇は失脚し、12年からは大津皇子が即位していたのでしょう。
なので日蝕があったり彗星が現れたり地震が頻発したのは、天武10年の秋ごろから天武天皇が危機に陥っていたことを暗に伝えてくれているのだと思います。
本当のことが書けないけど何とか後生に史実を伝えようとしてくださった日本書紀の編者の皆様、ありがとうございます。

そして大津天皇が高市皇子に殺される大津4年=天武15年までは大津の世だったわけですが、不比等氏は大津天皇の存在も消したかったがために大津期は存在せず、天武天皇の世が天武15年まで続いていたことになっているんです。
すごいですね、不比等氏って。森友学園関連の公文書偽造が可愛く思えてきますでしょ。