「遷都信濃国 vol、4」

播磨の国の風土記にも尾張氏の名前が出てきます。
また、尾張氏をたどると奈良県葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に至りますが、まずはvol.3の続きで美濃の神淵神社についてを。

天武天皇(当時はまだ大海人皇子)が美濃の神淵(かぶち)神社にスサノヲを祀ったのは(伝承が正しければ)”壬申の乱イブ”と言っても過言でない672年6月のこと。
美濃の国の一ノ宮、南宮大社は金山彦が祀られているほどなので、天武天皇は戦いに際して鉄と火の神々から守護を受けたかったのだと思います。

神淵神社は本殿東側に「蛇骨神社」がたたずみ、御祭神は麁正之剣神霊(アラマサノツルギノシンレイ………十拳剣の別名)。
本殿西側の「蛇尾神社」は御祭神に草薙之剣神霊が祀られています。
奈良県天理市の石上(イソノカミ)神宮が大和の国の武器庫であるように、ここ神淵神社は美濃の国の剣保管庫のようで、「遷都高天原」の325ページ~に詳しく書きました。

スサノヲとニギハヤヒを追った小椋一葉(かずは)著「消された覇王」にも、本文2ページ目に神淵神社が出てきます。
のちの時代、スサノヲを篤く信仰していた織田信長も、神淵神社に崇敬を寄せていたようで、天下取りの野望を満たすために必要な神と考えられていたのでしょうか。

さて、尾張・美濃に一大勢力を張り、多数の氏族と同族関係を持つ巨大な氏族として君臨していた尾張氏。
記・紀や先代旧事本紀に記された伝承をそのまま真に受けるわけではありませんが、第5代孝昭天皇の皇后ヨソタラシヒメノ命、第10代崇神天皇の皇后オオアマヒメノ命、例の大海です。そして大海媛は第13代成務天皇の母です。

第15代応神天皇にも第16代仁徳天皇にも尾張氏の女性の存在があるし、第26代継体天皇の妃も尾張氏から出ていて第27代安閑天皇と第28代宣化天皇を出生していることから、大和王権に深く入り込んでいるのが判ります。まるで藤原家のように。

とはいっても、欠史八代のみならず第15代の応神天皇以前の天皇(本当は大王)は実在したのかどうかがはっきりしないし、いたとしても百済や新羅の王をモデルにして日本の歴史を創作しているので、いると言えばいるし、いないと言えばいないです。
では百済や新羅の歴史からひもとけばいいかというと、百済や新羅の歴史は中国の晋だとか魏の時代の歴史を練り直して自国の史実としているようなので、もう何ともならないです。
それに、日本書紀だってその時々の権力者が都合のいいように書き換えてきたため、鎌倉時代までに12回も改ざんされているんですって。
ホント、何ともならないでしょ。
だから話を戻します。

ヤマトタケルです。
天武天皇に祟った(ことになっている)草薙剣は、三種神器の中でひとつだけ名前に「八」が与えられてません。
他は「八咫鏡(ヤタノカガミ)」に「八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)」。
日本は大八洲、八百万の神々、八咫烏、八幡神、八大竜王…………こんなに「八」を崇めているのに。
なのに天皇が持つレガリアに「八」が入ってないのはおかしいです。変です。妙ちくりんです。

なぜ大和朝廷は草薙剣を「八坂剣(ヤサカノツルギ)」とか「八照剣(ヤテラスノツルギ)」とかの名前にしなかったのでしょう。
出てきたところは八岐大蛇(の尻尾)にしてるくせに。
実はこの剣、朝廷にとって邪魔で仕方なく、かといって潰すことができないほどの大きな力をもった氏族が継承する剣だったので、「八」を入れずに嫌々で三種神器に加えた…………のでしょうね。

誤解を恐れずに言うと、ヤマトタケルに剣を託したのは伊勢のヤマト姫ではないと思うんですがね。。だいたい伊勢に草薙剣はないでしょ。
始めっから尾張氏が受け継いできた剣なんじゃないんですか?

って、面倒な話になってきたのでvol.5へ続く。