「遷都信濃国 vol、5」

草薙剣は尾張氏の血筋が海を渡ってやって来る以前から、代々受け継がれてきた剣なんじゃないんでしょうかねぇ?
それで、ヤマトタケル(と呼ばれてる人)は剣を身内から直接受け継いだか、それとも尾張氏の血を引くミヤズ姫かその親族である誰かから託されたのか。
少なくとも伊勢で授かったのではないでしょう。

もしもですよ、崇神天皇の皇后で尾張氏の娘の大海媛が剣を受け継いでいて、それを皇子の八坂入彦に託し、さらに入彦は娘の八坂入姫が嫁入りの際に授けた。
八坂入姫は景行天皇に嫁いだことになっていますが、景行天皇は紀元前13年生まれで、亡くなったのは143歳(古事記では137歳、日本書紀は106歳)のデタラメな設定です。
実はヤマトタケルの存在を隠すために景行天皇を創作してヤマトタケルにかぶせた。
本物のヤマトタケルは景行天皇になってしまっているので、別人でヤマトタケルなる皇子を出現させて荒々しく描くことでヤマトタケルを陥れ、その功績を景行天皇のものにしてしまった。
で、あとはヤマトタケルがどこかで死んでくれればいいわけで、その舞台を伊吹山にしたのだとしたら。

景行天皇が実はヤマトタケルだとすると、剣を授けたのは妃の八坂入姫と考えることもできるので、そうなった場合は尾張の血を抹殺するために八坂入姫の名前もあやふやにして、罪滅ぼしに”八坂”の名前を与えてあるとか。
むちゃくちゃな話になってしまいましたので、いずれこの話をフィクションにします。

数霊シリーズで頻繁に登場する尾張戸(おわりべ)神社は、名古屋市の最高峰東谷山の山頂に鎮座しております。
最高峰といいましても標高は198、3メートルしかありません。大阪の天保山よりは高いですけど。

ヤマトタケルは岐阜県可児市の久々利から愛知県春日井市の内津(うつつ)峠を抜けて東谷山へと至っています。
(景行天皇が久々利で八坂入姫と出逢っていますが、実際はヤマトタケルがこの時に八坂入姫と連れ出していると思えてならないのですが………)
内津峠にさしかかったところでタケイナダネ命の訃報がヤマトタケルに届き、義理の兄(タケイナダネはミヤス姫の兄)を想ってタケイナダネを祀ったのが内々(うつつ)神社です。
そして東谷山までやって来るのですが、東谷山の麓には尾張で最古の前方後円墳がありまして、その名も「白鳥塚古墳」。
その名からしてもヤマトタケル伝説が残っていますが、この前方後円墳は奈良県天理市の行燈(あんどん)山古墳と同じ類型に属しており、必ずといっていいほど比較されます。
おそらくは白鳥塚古墳が造られた4世紀前半には、尾張氏と奈良県南東部の勢力は密接につながっていたのでしょう。
実はですよ、行燈山古墳の埋葬者はナント崇神天皇であると比定されているため、妃の大海媛がますます気になりますが、天皇陵の埋葬者は江戸の末期になってから比定されているので、行燈山古墳が崇神天皇陵である可能性は低いでしょう。残念。

万葉集の3234番歌には久々利の泳宮(くぐりのみや)が歌われていまして、泳宮を「八十一隣之宮(くくりのみや)」とも書くそうです。
九九(クク)81だからそう書く訳で、八十一隣之宮は白山菊理(ククリ)媛を連想しますが、ここでは結びつけないことにします。

それで万葉集の3234番歌ですが、その内容は
「尾張の東谷山の近辺に住む若者が、美濃の久々利の女のもとへ急ごうとするが、内津峠を越えた先には前途を遮るように山々がつらなっている」
といったものでして、尾張東谷山の男と美濃久々利の女が結ばれています。

ヤマトタケルに戻りますが、常陸(ひたち)国風土記にはヤマトタケルの名前が複数ヶ所に出てくるそうでして、そのすべては「倭建天皇(ヤマトタケルノスメラミコト)」と。
常陸国風土記をまだ調べていないため、”天皇”の表記と風土記の書かれた時代を合わせてから判断しますが、もしヤマトタケルが即位していたとしたら、景行天皇はやっぱり架空だったのでしょう。

で、ヤマトタケルって誰なんだ?
それが判らないと天武天皇に戻れないんです。