「遷都信濃国 vol.10」

天武天皇が遷都先に信濃国を選んだ理由につながるかは判りませんが、気になることがあります。
万葉集を古代韓国語で読み解いたイ・ヨンヒ著「天武と持統………」では、第2代綏靖(すいぜい)天皇と第14代仲哀天皇と第40代天武天皇が同一人物であると。
第2代・第14代・第40代を憶えておいてください。

第2代綏靖天皇は欠史八代に含まれるため実在と考える必要はありませんが、異称として「カム”ヌナカワ”ミミノミコト」と呼ばれています。
そして天武天皇は「アマノ”ヌナハラ”オキマヒトノミコト」。
綏靖天皇の「ヌナカワ」は”渟名川”と書き、天武天皇の「ヌナハラ」は”渟中原”と書きますが、古代韓国語では共に「ヌナカハ(=ヌナカワ)」の読みになり、意味するところは「沼生まれ」になるそうです。

信濃の国の一ノ宮といえば諏訪大社ですね。
諏訪大社の主祭神タケミナカタは、母の名をヌナカワ姫と申します。
同じヌナカワですが、天武天皇が遷都先に信濃を選んだことに関連性はないのでしょうか?

タケミナカタの妻神はヤサカ(八坂)トメノミコト。
先ほどの第14代はここで登場。仲哀天皇はヤマトタケルの皇子になっています、一応は。
ヤマトタケルの父は、デタラメでしょうけど景行天皇で、妻の一人はヤサカ(八坂)イリヒメノミコト。
ヤサカイリヒメは第13代成務天皇の母(ということになっています)。
ヤサカイリヒメの父はヤサカ(八坂)イリヒコで、ヤサカイリヒコの父は第10代崇神天皇、母は大海媛。大海媛は尾張氏の娘です。
他にはあまり出てこない”八坂”はここに集中しておりまして、崇神天皇にはもう一人”八坂”の名を持つ妃がいます。ヤサカ(八坂)フルアマノイロベです。
崇神とその妃の間に生まれた皇子にもヤサカ(八坂)フルアマノソノベの名前が見られ、日本中の”八坂”はほとんどがここにあるんですね。

ここで崇神=神武を持ち出すとややこしくなるので止めますが、崇神の妻の一人は”大海”媛。
尾張氏と密接なつながりを持つ天武は”大海”人。
大海人のアマは海部(アマ)氏のアマなのでしょうか。
※尾張氏も海部氏もニギハヤヒ・タカクラジ(天の香語山)を祖とする同族です。

天武天皇によって朝廷の保護を受けるようになった熱田神宮は、それまで尾張氏の氏神的な社でした。
そんな地方の氏神を重要視したのは天武天皇が初めてです。
熱田に保管されている草薙剣は、もともと尾張氏に伝わる剣であり、ヤマトタケルはそれを持つことが許される血筋か、またはそれが認められた立場のはず。

天武天皇が病に倒れ、占ったら剣の祟りと出たので慌てて剣を熱田に返した…………という話は熱田神宮の社史にも書かれていますが、おそらく天武天皇を剣から遠ざけるために不比等らが考え出した作り話でしょう。

さて、天武天皇・ヌナカワ・信濃国・八坂・ヤマトタケル・尾張氏・剣。
この一連のキーワードをどう解いていけばいいのでしょう。
そして他にも絶対に外せないキーワードが蘇我氏と葛城氏。
天武天皇と蘇我氏との関わりは、ひょっとしたら蘇我氏直系の血筋かもしれず、しかも最近の研究によると蘇我氏こそが改革派として天皇を支えたようなのです。

学校の教科書は”蘇我氏=悪”を想わせる内容で教えていますが、蘇我氏は天皇と共に国の改革を推し進めていたようで、それを阻んだのが中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)。
※藤原家の藤原姓は、鎌足が死んだ直後に天智天皇から与えられているため、鎌足が藤原を名乗ったことはありません。

中大兄と鎌足が国家の改革を阻止しておきながら、蘇我氏が阻止したことにした。そして入鹿殺害などの蘇我氏滅亡を正当化していたようです。
それに、蘇我氏vs物部氏の戦いについてですが、最近では蘇我氏と物部氏が連合を組んでいたことも判ってきており、廃仏派の天皇と対立する蘇我氏を、物部氏がバックアップしていたようでもあるんです。

日本人は一度、全員揃って蘇我氏に謝らなければいけないです。さんざん悪者扱いをして申し訳ございませんでした、と。
日を決め日本中が一斉に、長きに渡る誤解を詫びて冤罪を晴らさねば、この国の開闢はまだまだ遠いかもしれません。