ニュース」カテゴリーアーカイブ

「諏訪古事記 その4」

♪奥山の大木
里にくだりて神となる

6月から諏訪通いが続いておりまして、9月半ばからは5週間で5回(10月23日現在)と、まさに毎週諏訪の地を訪れています。
そうすることでやっと見えてきたものもありますが、それとは別に諏訪の地はいよいよ来年の御柱祭に向けて気持ちの高ぶりと緊張感が増しつつあるように思いました。
特に上社(前宮と本宮)地区の氏子は2月15日におこなわれる抽籤(ちゅうせん)式に向け、年明けの元旦早々から毎日早朝に集結して、諏訪の神様に壮絶なお詣り合戦が始まるそうです。
というのも、抽籤式ではどの町内がどの御柱を担当するかを決めるんですが、すべての町内が「本宮一之御柱」を狙っているため、その願掛け参りが連日続くわけです。

続きを読む

「諏訪古事記 番外編その3」

幾星霜
めぐりめぐりて豊穣の
女神立ちたる諏訪の地で
黄金の稲穂  両の手に
抱えし姿  見えたるか
幾星霜
豊穣の  女神なりしと称えられ
数多(あまた)の像は造られし
幾多の畏怖と崇拝に
真なる姿は隠されし

知りたる者よ  今ここに
真澄の心  差し出して
深き謝罪と感謝をの
時空を超えてその心
光となりて地をめぐり
風に乗りては空を舞う
まことに佳き日  めでたき日

あらかじめこれをいただいておりまして、10月20日に諏訪へ下見に行きました。
それでミシャグチの裏山の磐座も予想していたところに間違いなかったため、23日に再び諏訪へ行きアナトリアの女神にご挨拶してまいりました。

続きを読む

「諏訪古事記 番外編その2」

アナトリアの女神がミシャグチの裏山でお待ちとこのとですが、アナトリアの女神とはキュベレーのことなのでしょうか。
だとするとトルコのチャタル・ホユック遺跡で見つかった紀元前8500~7600年(今から約8000年前)ころの座像で多産豊穣のシンボル「地母神」でしょうから、えっ、土偶だ!
そうですか、土偶ですか。

諏訪市のすぐ東隣りの茅野市からは国宝に指定されている土偶「縄文のヴィーナス」と「仮面の女神」が出土しています。
「縄文のヴィーナス」は今から約5000年ほど前の、「仮面の女神」は約4000年ほど前の土偶でして、現在国宝に指定されている土偶5体のうち、2体が茅野市で見つかっているので、茅野市では市民の土偶作りが盛んです。
(他3体は北海道函館市の「空中土偶」、青森県八戸市の「合掌土偶」、山形県舟形町の「縄文の女神」)

続きを読む

「諏訪古事記 その3」

諏訪市博物館は、諏訪大社本宮入口の道路をはさんだ反対側にあります。
女性館長の専門分野は中世とのことでしたが、そんなことはかまわず古代についてあれこれ質問攻撃をしてみました。
すると館長は興味深い話をしてくださったんです。
「江戸時代の後期、各地の神社に祀られる神々に対して古事記に出てくる神々を当てはめ、次々と名前を書き換えたようです。これは信州大学の教授の説ですけれども」と。

それは信州大学人文学部の渡辺匡一准教授の説でして、その「諏訪大明神絵詞(すわだいみょうじんえことば)と建御名方」と題されたレポートが手元にあることをに先ほど気付いて、あービックリした。

続きを読む

「諏訪古事記 番外編その1」

もう神事はやらなくていいと思ってましたし、やらないつもりでした。
やりたい人がたくさんいるから、その人たちにやってもらえばいいじゃんか、って。

アナトリアの女神が諏訪の山で待っているそうで、ミシャグチの裏山だとか。
尖った大きな磐座のようで、真澄と蜂蜜その他を持っていくようにって。
真澄は諏訪のお酒じゃんか。
磐座って、どこだろう。
諏訪には名のある磐座があくさんあるけど、ミシャグチの裏山ってことは小袋(おふくろ)石か、それとも守屋山?
あれ、思い出した。あれはもう7年も前のことなのに、まだ生きた話なのか?

諏訪のうみ

めぐりめぐりてナニ思う…………

続きを読む

「諏訪古事記 その2」

東京からメールが来ました。今回は短いです。
「あわのすわ(阿波の諏訪)」
それだけ。
そして次も短かった。
「そそうの神よ  これ如何に」
短いのは助かりますけど、ナニ言ってんでしょう?

このようなファクシミリやメールは今まで何百回とありましたが、こちらの頭が悪いので理解するまでに数年かかります。

「すすきの穂
たずさえ参れよ  諏訪の地へ
長き時空の旅の果て
いよよ始むる和睦の神事
…………」
(「弥栄三次元」317ページ)これなんて2008年に受け取っていますが、今になってやっと理解できたこともありまして、だとしたらまだ理解できてないこともあるはずだから、深く理解する前に死んでしまうことでしょう。ご臨終です。さようなら。

続きを読む

「諏訪古事記 その1」

タケミナカタは実在した人物なのでしょうか?
というのも、出雲から追われて諏訪の地へ逃げてきた(ことになっている)タケミナカタの名前は古事記にしか見られず、日本書紀には出てきません。
これは、日本書紀が意図的にタケミナカタの存在を排除したからなのか、古事記がありもしない話を何かの象徴として書き入れたからのか?

古事記にしたって712年に完成した(ことになっている)初版?に最初からタケミナカタが登場していたのか、後になってタケミナカタの話を挿入したのかも判りません。
というのもタケミナカタの父とされる大国主命の系譜にタケミナカタは入っておらず、そうなるとやはり後からタケミナカタを作り上げて古事記に挿入したのか、それとも系譜を改ざんしてタケミナカタを排除したのか、それも謎です。

続きを読む

「遷都信濃国 vol.29」

最近は本題から話が逸れすぎていましたので、いまいちど天武天皇による陪都信濃国関連の資料を整理してみます。
まず、天武天皇が陪都に先だって行宮を置いたとされるのは「つかまの湯」と呼ばれていまして、日本書紀には「束間温湯」として出てきます。
日本書紀によれば、天武天皇14年(685年)10月に
・軽部朝臣足瀬(かるべのあそんたるせ)
・高田首新家(たかだのおびとにいのみ)
・荒田尾連麻呂(あらたおのむらじまろ)
ら3人を派遣して束間温湯に行宮を造営させたとのことですが、翌年の天武天皇崩御によって信濃国の陪都建設計画は中止になりました。
陪都を設けることは唐に倣ったようで、唐では長安を首都としつつ洛陽を陪都にした複都制を実施しています。

続きを読む

「天の時、地の利、人の和」

オリンピックについては黙ってるつもりでしたが、あまりにも質問が多いので、ほんの少しだけ。

オリンピックのエンブレムはなかなか素晴らしい案がたくさん出ていますね。
プロによる完成されすぎたデザインは、恒久的な建造物(美術館や博物館など)や組織・企業のトレードマークとしては相応しいと思いますけど、オリンピックとなると国民全体が理解しやすく親しみやすい方がいいかもしれませんね。

続きを読む

「遷都信濃国 vol.28」

最近は日本各地で鹿が増えすぎてしまい、さまざまな被害が出ています。
かといって増えた鹿の命をただ奪うだけでは申し訳ないですし、鹿の肉には鉄分が豊富に含まれているため、丹波から新鮮な鹿肉を送っていただきました。
それで、鹿肉を食する前に諏訪大社へ行き「鹿食之免(かじきのめん)」と「鹿食箸(かじきばし)」を買い求めてきたわけです。
「鹿食之免」とは鹿肉を食するための免罪符でして、これで鹿肉をいただく許可を得たことになる………といったシロモノなんです。

鎌倉時代、幕府は仏教の教えにより「獣を食べてはならない」との御触れを出しました。
しかし諏訪の地は特別にそれが許されていて、諏訪大社は「鹿食之免」を配布するだけでなく、販売して利益を得ていたんです。
どうして幕府は諏訪大社だけにそのような許可を与えたのでしょう?

続きを読む