「諏訪古事記 番外編その2」

アナトリアの女神がミシャグチの裏山でお待ちとこのとですが、アナトリアの女神とはキュベレーのことなのでしょうか。
だとするとトルコのチャタル・ホユック遺跡で見つかった紀元前8500~7600年(今から約8000年前)ころの座像で多産豊穣のシンボル「地母神」でしょうから、えっ、土偶だ!
そうですか、土偶ですか。

諏訪市のすぐ東隣りの茅野市からは国宝に指定されている土偶「縄文のヴィーナス」と「仮面の女神」が出土しています。
「縄文のヴィーナス」は今から約5000年ほど前の、「仮面の女神」は約4000年ほど前の土偶でして、現在国宝に指定されている土偶5体のうち、2体が茅野市で見つかっているので、茅野市では市民の土偶作りが盛んです。
(他3体は北海道函館市の「空中土偶」、青森県八戸市の「合掌土偶」、山形県舟形町の「縄文の女神」)

守屋山をはさんで諏訪市とは反対側の上伊那郡辰野町でも仮面の土偶が出土してまして、それが茅野市の「仮面の女神」にそっくりなんです。
もし状態が良ければ辰野の女神も国宝になっているかもしれません。

さて、土偶はほとんどすべてが女性であり、その土偶を埋める際には破壊します。
ですから出土する土偶で全身が無傷のものが少ないんですが、なぜ破壊するのかが判らずに悩んでたところ、茅野市の東に位置する富士見町の井戸尻考古館で納得する答えが見つかりました。
解説をそのまま書き写します。

「土偶
粘土をこねて作った女像。ふつう五体満足で出土することはない。首や手足をもがれるべき運命を負い、体の各部は遠く散らされたのである。
女性としての最大の特徴点は豊満な腰の表現におかれる一方、その顔は稚児の表情をみせるものが少なくない。
土偶のこうした在り方は、古事記や日本書紀に記された次の神々を彷彿させる。
大宜都比売(オホゲツヒメ)または保食神(ウケモチノカミ)、殺害された屍体の各所から穀物ほかが化生した。
伊耶那美命(イザナミノミコト)、黄泉の国に隠れたその体の各所には雷(いかずち)が化生していた。
月の死と再生を凝視すると、死は忌み恐れるべきものでなく、むしろ新たな生命の前提となるものである。
女神像が殺(あや)められたのは、そうした宗教観念の表明であった」

井戸尻考古館には土偶を掘り出す途中の写真も展示してあり、土偶のカケラのすき間から植物が芽を出していました。
つまり、破壊された土偶=女性の体は万物を生み出す象徴であり、だから破壊した土偶の体をバラバラに埋めたのだと。
それで古事記や日本書紀も神々の体から新たな神を生み出しているのですが、縄文の宗教観念から影響を受けているのでしょう。
井戸尻考古館の学芸員さんはそうおっしゃってました。

トルコのチャタル・ホユック遺跡から出土した「地母神(=キュベレー)」も極端に豊満な体をしていて、まさに多産豊穣を表しています。
ですから「キュベレー」にも「縄文のヴィーナス」や「仮面の女神」にも共通する想いが込められていて、ここにきてテーマに”土偶”が加わりました。

そういえばアナトリアの女神がお待ちの磐座がミシャグチの裏山だとすれば「小袋石(おふくろいし)」の可能性がありまして、言霊としては「お袋=母」なので、縄文や土偶から導き出されるキーワードは「母」なのかもしれません。
諏訪の山が雪に埋もれる前に「小袋石」へ行ってきます。真澄(諏訪のお酒)とハチミツとその他の指定されたものを持って。

諏訪通いが続いてますけど月1回ペースが夏からは月2回になり、秋にはとうとう週1回になってしまいました。
このままだと高速代とガソリン代が月に5万円を超します。ちょっとヤバい。