6月から諏訪通いが続いておりまして、9月半ばからは5週間で5回(10月23日現在)と、まさに毎週諏訪の地を訪れています。
そうすることでやっと見えてきたものもありますが、それとは別に諏訪の地はいよいよ来年の御柱祭に向けて気持ちの高ぶりと緊張感が増しつつあるように思いました。
特に上社(前宮と本宮)地区の氏子は2月15日におこなわれる抽籤(ちゅうせん)式に向け、年明けの元旦早々から毎日早朝に集結して、諏訪の神様に壮絶なお詣り合戦が始まるそうです。
というのも、抽籤式ではどの町内がどの御柱を担当するかを決めるんですが、すべての町内が「本宮一之御柱」を狙っているため、その願掛け参りが連日続くわけです。
上社で建てられる御柱は前宮と本宮で合計八本。
一番人気は八本中でもっとも太い「本宮一之御柱」で次は「本宮二之御柱」です。
その次になると「前宮一之御柱」か「本宮三之御柱」らしく、「前宮三之御柱」や「前宮四之御柱」を引いてしまうとそのショックは大きいようで、昔は「前宮四之御柱」を引いた抽籤総代が石を投げられたり家に嫌がらせをされたり、中には諏訪から出ていってしまった人もいるそうです。
うーっ、命がけのクジ引きだ。
とはいっても「前宮三之御柱」や「前宮四之御柱」だって立派な大木でして、4月の山出し途中で坂を落ちてゆく”木落とし”や、宮川を渡る”川越し”の迫力はハンパじゃありません。
上社の場合は御柱に”めどてこ”と呼ばれる5メートルほどの柱を差し込みます。
御柱の両端に2本ずつVの字に差し、その”めどてこ”にも若い氏子たちがズラリと並んで乗るんですが、5月の里曳きではめどてこが突き建つ巨大な御柱が前宮の鳥居をくぐり、階段を登り、めどてこを傾けながら社の屋根を避けて登り坂を曳かれていく様子は感動的です。
※写真は”木落とし”と”川越し”の様子。V時に突き建つ”めどてこ”にもビッシリ氏子が乗ってる。
氏子の心意気は相当なもので、最後は”建て御柱”ですが、御柱が建つとてっぺんに登った氏子が感謝の垂れ幕を垂らしまして、DVDを観ながら泣いてしまいました。
ところで、御柱を曳いたり落としたりする際に、
♪山の神様ぁ~、お願いだぁ~
♪奥山の大木ぅ~ 里にくだりて神となるぅ~
♪モミの大木おんばしらぁ~ 里にくだりて神となるぅ~
などと甲高い声で木やり歌が遠くまで響きます。
上社と下社では少し違いがあるようなんですが、
「里にくだりて神となる」
の部分。
ドキッとしました。
「里にくだりて神となる」のならば、曳いている御柱はまだ神ではないわけで、山から里に下ってきて、そして境内に建てられてはじめて神となる、あるいは神が宿ると考えるのでしょうか。
だからそれまでは荒々しく扱っても問題がないのかもしれず、近々諏訪へ行ってそのあたりを本宮前の蕎麦屋のご主人に詳しく聞いてみます。
諏訪での夜、上諏訪町の居酒屋へ真澄を呑みに行きました。
大将にあれこれ質問したところ、仕事をほったらかしにしたまま隣に座り込んで話してくれましたが、氏子たちは命がけで祭りに参加しているので、木落としで死者が出ても仕方ないことだとすんなり受け入れているようでした。
けど、御柱を建てる意味などは満足できる答えではなく、まだまだ諏訪通いが続きそうです。
鎌倉時代まで仏教の侵入を拒否していた地だけあって、諏訪には石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代の文化がすべて残っています。
それは他の地にはない素晴らしさなんですが、すべてが残っているためひもとくのが大変でもあります。
また、諏訪湖の湖底に見つかっている曽根遺跡は日本で見つかった初めての水中遺跡ですし、真冬になると凍った諏訪湖に現れる御渡り(みわたり)についても下諏訪町立博物館の専門家にお聞きしたところ、諏訪湖が今より面積が広かった縄文時代であっても、氷が音をたてて盛り上がる御渡りは起きていたようで、縄文人はその様子に何を感じていたのでしょうか。
諏訪への想いは尽きません。