「遷都信濃国 vol.25」

また諏訪へ行ってきましたが、今回は天武天皇の陪都計画についての情報はナシ。
守矢史料館で守矢氏の系図をいただけたのは収穫ですが、タケミナカタについてはますます疑問が湧いてきまして、ですからしばらくは諏訪通いが続きそうです。
それで、今回は土偶「縄文のビーナス」と「仮面の女神」のお話を少々。どちらも国宝です。
縄文時代の土偶なのでタケミナカタとも天武天皇とも直接は結びつきませんが、発掘された舞台は信濃国ですので、神話時代よりも古き時代の信濃国に想いを馳せてみます。
けど、神話時代よりも古い石器時代や縄文時代にも人は暮らしていたんだから、そもそも神話時代って何なのさ、と思いません?
先人たちに失礼ですよね。

尖石(とがりいし)考古館では大昔に八ヶ岳山麓で暮らしていた人々の様子が詳しく案内されていて、「縄文のビーナス」はアーティストからかなり高い評価を受けているようでした。
縄文時代の人々は感性が豊かだったんでしょうね。あっそうそう、土偶はすべて女性です。

縄文中期、八ヶ岳山麓に大きな集落が発達し、縄文文化が繁栄しだしたころに作られたのが「縄文のビーナス」です。(※写真1・2)
正面・側面・背面からの姿はそれぞれ違った味があり、アーティストがべた褒めしている映像が館内で流れていました。
解説を聞いて気づいたんですが、背面から見た頭のてっぺんの渦は実にユニークです。
お腹のふくらみは妊娠を表しているのだとか。
「縄文のビーナス」が作られたのは今から約五千年前のことで、当時の土偶としては特別大きく27㎝もあります。
土に混ぜた雲母がキラキラと輝いていました。

「縄文のビーナス」と同じく国宝に指定されている「仮面の女神」は縄文後期の土偶です。(※写真3)
約四千年前に作られたこちらの土偶は三角の仮面を付けた女性で、文様が丁寧に彫られています。2000年8月23日に発見されました。
お墓であろう場所に副葬された状態で出土して、表面は光沢が出るほどに磨かれていたそうです。なかなか神秘的ですね。
大きさは「縄文のビーナス」よりもさらに大きく34㎝あります。
国宝に指定されている土偶は全国に5体しかありませんので、そのうち2体が長野県茅野市で発見されたとなれば、もう地元としては最大の”売り”になりまして、それはそれでいいんですけど、国宝2体自慢を1日に3回~4回は聞くことになりますので、地元のご老人に近づく際には覚悟が必要です。

また、館内には黒曜石が大量に展示してあり、狩猟用の矢じりだけでなく原石のカタマりもゴロゴロあるのは、和田峠が近いからでしょう。
避暑地として蓼科(たてしな)・霧ヶ峰・美ヶ原の名前を聞いたことがあるかもしれませんが、和田峠はそのすぐ近くでして良質の黒曜石が採れます。
かつて諏訪大社の御頭祭では75頭もの鹿の頭を奉納していたので、鹿の捕獲にこの黒曜石矢じりが使われたのでしょう。
現在の御頭祭では剥製にした鹿の頭を奉納しています。
その様子は守矢史料館で紹介されていますが、面白いのは「鹿食免(かじきめん)」なるもの。
それも実物が守矢史料館で展示されていますが、「鹿食免」は鹿を食してもいいという許可証でして、本来は禁じられていた肉食ですが、諏訪は鹿がいなければ神事ができないため、特別に許可されていたようです。
守矢史料館の内部はけっこう狭いんですが、親切丁寧に説明を受けることができるため、100円の入館料を200円に値上げするよう館長に伝えておきました。

2015/ 7/11 16:12

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2015/ 7/11 16:10

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