「諏訪古事記 その12」

諏訪大社の上社(前宮・本宮)が御神体と仰ぐ守屋山は、イスラエルのモリヤ山との関係性が指摘されますが、たしかに同じモリヤ山ですし、また同時に守屋山は物部守屋とも結び付く理由がたしかにあるため、そのあたりはとても気になるところです。
しかし今回はもう少し学術的な話になりまして、守屋山の山麓標高835メートル付近のフネ古墳では、副葬品として2本の蛇行剣が出土しています。
※守屋山の山頂は標高1650メートルで、諏訪湖の湖面は現在標高759メートルです。

蛇行剣とは全体がクネクネと3~6回屈曲した剣で、1959年の発見当時は全国でも5例ほどしか見つかってなかったため、用途は謎に包まれていました。
写真1:出土したときの様子
写真2:左の2本が蛇行剣で、一番左側の剣はカーブがはっきりしています。

近年は特に西日本で蛇行剣の出土が相次いだため、現在その数は70例ほどになりました。
それで判ってきたんですが、通常の刀剣類は炭素の含有量が0.1%程度であるのに対し、蛇行剣は炭素が0.33%ほど含まれていて、攻撃用の剣としては質が悪いため、やはり祭祀に用いられたのであろうと考えられています。

学術的にはまだ謎が多い蛇行剣ですけどある研究者によると、全国の蛇行剣出土の地は龍蛇・水霊信仰が強いとの報告もあり、やはり蛇または龍の力を宿すためにクネクネさせたのかもしれません。
ただし、古代においては全国どこの地域であっても龍蛇信仰や水霊信仰は盛んだったでしょうから、もっと具体的なクネクネ理由が欲しいところです。

奈良県石上(いそのかみ)神宮所蔵の国宝七支刀は、4世紀中ごろに百済王から賜ったとされていますが、蛇行剣に関しては日本での出土が70例に対し、韓半島では南部(百済または加耶だったであろう地域)からわずか1本しか発見されていません。
ということは、クネクネは日本で発展したのでしょうか。

そうなってくると結びつけたくなるのが縄文中期の土器にほどこされた蛇のモチーフです。
それについてはこのコーナーの「番外編その5」でも取り上げましたが、蛇の生命力…………それは脱皮することが当時の人々にとっては”生まれ変わり”や”再生”…………であり、また男性性の象徴でもあったのでしょう。
すると蛇行剣は女性に、あるいは女性性の神や精霊に捧げるエネルギーを宿すためのものだったのかもしれません。

諏訪では冬至前後におこなわれる「御室(みむろ)神事」に3体の小さな蛇が登場しますが、この蛇こそが諏訪に太古から伝わるミシャグチであるかもしれず、蛇行剣とミシャグチを直接結びつける理由はまだ見つかりませんが、縄文時代・弥生時代・古墳時代を通して、根底には共通の思いがあるのではないでしょうか。
それは”生命の誕生”や”生命力”そのものの神秘に対する畏怖の念といったものが。
縄文時代の土器はほとんどが女性であることも同じ理由からだと思います。

少し見方を変え、新潟県で出土した縄文中期の火焔(かえん)型土器のように、蛇行剣は剣で炎を表現したとすれば、拝火的な要素があったとも考えられます。
祭祀のクライマックスに神官が蛇行剣を太陽に突き上げ、そのまわりを巫女が舞って大自然からの恵みを懇願する。そんな祭りが古墳時代におこなわれていたのかもしれませんね。

諏訪の場合は真冬に現れる諏訪湖の御渡りが蛇行剣の姿と重なるため、それとも無関係ではないでしょうけども、宮崎県や鹿児島県でも蛇行剣はたくさん出土しているため、御渡りと結びつけは今のところ控えておきます。
ちなみに諏訪のフネ古墳では2本の蛇行剣以外にも刀剣類が27本、銅鏡や釧(くしろ)、多数の小玉・管玉が出土していることから、被葬者は古代諏訪の開拓に尽力した人物であったのでしょう。
アカデミズムではその人物をタケミナカタと関連づけることはしませんが、伝承的にはタケミナカタのような人物だったのではなかろうかと、想像はふくらみます。

2016/ 3/ 6 12:36

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