「諏訪古事記 その13」

例えばの話ですよ。
古事記では諏訪湖を「州羽の海」と記しています。
山口県の旧国名「周防(すおう)」と長野県の「諏訪」は語源が同じだとの説もありますが、それはともかくとして現在は”スワ”と発音する「諏訪」の元は”スハ”だったようでして、音霊的には「命がある」「生きている」ことを表している言葉が地名になったのかも…………

スーッと吸って、ハーッと吐く。
吸うの”ス”と吐くの”ハ”でスハ。
「スハ」とは呼吸をしている状態を表した言霊ならば、命ある限り人も山の獣も諏訪湖の魚も”スハ”を繰り返します。
木々や草花も生きていれば”スハ”を続け、ひょっとして鉱物にさえも古代人は”スハ”を感じていたのかもしれません。「諏訪」の語源を古代朝鮮語とは切り離して考えたうえに例えばの話ですけども。

“スハ(=呼吸)”が止まると”シ”になります。「死」です。
“シ”の言霊は動きを止めたいときや、あるいは動きが止まった状態を表現する言霊でもあるため、静かにさせるときには”シーッ”と発しますし、シに濁点を付けて”ジーッ”になれば動きのない状態を表現できます。「ジーッと見つめる」とか「ジーッとしてなさい」みたいに。
それでその終着点が”シ=死”というわけです。

さて「スハ」に戻りまして、吸ったり吐いたりの呼吸を続けることをスハと表現したとして、諏訪の地に暮らす人々は長寿を願ってその土地をスハと呼んだ…………
そしてスハを力強く体現しているのが蛇であった。
蛇は脱皮することで「よみがえり」あるいは「再生」しつつスハを繰り返す。
そんな蛇の姿を見た古代人にはにとってはまさに神秘そのもので、やがて信仰へと発展したのではなかろうかと。

真冬の諏訪湖に現れる御渡り(みわたり)は、”州羽の海=諏訪湖”を渡る龍神か大蛇かミシャグチか、とにかくものすごい生命エネルギーを感じていたと思います。
そして、大勢の人が乗っても割れない分厚い氷がギシギシミシミシと音をたてて盛り上がる様子は、「誕生」であるとか「再生」のエネルギーとして信仰の対象になったのでしょう。
諏訪大社本宮の向かえにある諏訪市博物館では、御渡りが発する諏訪湖の声を聞くことができます。

ところで、古神道では季節の移り変わりを[春夏秋冬]ではなく[冬春夏秋]と考えます。
もう20年以上も前のことになりますが、在りし日の小林美元先生からこんな話をお聞きしました。
『[冬]というのは[殖ゆ]と申しましてね、目には見えなくとも地面の中や木々の枝の中でじわりじわりと力を蓄える=殖えることでして、つまりその季節が[殖ゆ]であります。
[春]とは、[殖ゆ]に蓄えた力を表に出すこと=[張る]です。地面から芽が出る姿も花が咲く姿も[張る]と申しまして、つまりそれが[春]なんですね』と。

というわけで、諏訪湖の御渡りは[殖ゆ]にエネルギーが蓄えられてる真っ最中だと考えたのでしょうか。それとも、すでに[張る]の姿として見ていたのでしょうか。
で、何の話でしたっけ。あぁそうそう、「スハ」の語源でしたね。
ちょっと調べたところ、「スワ」以前は「スハ」であったことまではいいんですが、古代朝鮮語の
「徐伐羅=ソバル=京城」
から「ル」が脱落した後に「スハ」へ転訛したとのこと。
しかし言葉の転訛だけで答えを求めますと「(タケ)ミナカタ」も「ムナカタ」の転訛として結論付けることができまいますが、転訛については判断がむつかしいので保留にしておきます。