今回は「ヱビス開国」に出てくる手長神社です。根の国のクニソコタチとして”チ助”と”ミ吉”が登場するあの手長神社、豆彦が育てられた手長神社の御柱祭りに参加してきました。
土蜘蛛どもめ
エブスめ国栖(くず)めと追いたてられて
虐げられし人々の
いかに多くか知りたるか
手長・足長 最たるものよ
悪しき名にて蔑視され
地中深くに葬り去られし…………
(「ヱビス開国」150ページ)
のあの手長神社です。
チ助老人ミ吉老人のお社にも新たな御柱が建つということで、感慨深きものがありました。
で、何がスゴいかって、手長神社の御柱祭りは国道20号を通る車をすべてストップさせて踏み切りを渡るんです。
これまで参加させていただいた小宮御柱祭りは、どちらかといえば村のお祭りでしたが、ここ上諏訪地区は街です。氏子さんの数も多いし、御柱もデカいのが4本揃ってました。
曳行開始から国道20号を進むため一般車は規制がかかり片側車線のみの通行で、御柱は堂々と上諏訪駅方面へ向かいますが、いよいよ踏み切り横断では長野県警のお巡りさんたちにより車はすべてストップ。JRの運行に合わせて一気に御柱を曳きます。
踏み切りを渡るのにも御柱には大勢の氏子さんが乗り”アラヨイテーコショ”と威勢のいい掛け声を響かせるので、曳き子のテンションも最高潮に。雨が降りだしたけどそんなことお構い無しに御柱を曳いたまま猛ダッシュしました。メッチャ楽しかったです。
まったく諏訪の氏子はやることが桁違いだし、それに全面協力する県警や消防もスゴい。
手長神社の御柱祭りは2日目に境内へ曳き入れるための階段登りがあります。しかも夜に。
それがハンパな階段じゃなく、あのデカい御柱を人力だけで曳き上げようと考えること自体がどうかしちゃってると思いますよ、この人たち。
けど、その前に狭い交差点を曲がること4回。しかもある曲がり角ではバックで御柱を突っ込んで、そのまま追いかけ綱(御柱のうしろに付けた短い綱)だけで次の曲がり角まで曳き、そこで元に戻して何事もなかったかのように曳き始めるので、ヌエの鳴く夜は恐ろしいけど諏訪の氏子も恐ろしい。
☆写真1:初日の踏み切り渡りで、踏み切りと国道を一気に渡り抜けるための準備。御柱が動き出すと「止まるなよ、一気に曳けっ」の声が響きます。
☆写真2:御柱を曳いていると踏み切りを渡ってる写真が撮れないため、「小宮御柱祭 巡礼」(服部有人撮影)から拝借。
☆写真3:2日目の踏み切り渡り。踏み切り前で子供の木遣り隊と上諏訪町のラッパ隊が共演。
上諏訪駅を13時28分発のスーパーあずさ18号が通過したらしばらく電車が来ないため、その時間帯を狙って踏み切りを渡ります。