<遠賀開闢 第1弾"宵祭り">
9月から遠賀川の河口付近の海沿いで福岡整体教室が始まったんですが、会場になっている齋藤シーサイドレディースクリニックのすぐ脇には縄文時代の山鹿貝塚がありまして、まさかの展開に驚きでした。
というのも、山鹿貝塚は九州を代表する縄文遺跡のひとつでして、3500年前(縄文後期)の人骨18体も発見されているんです。
また、クリニックの所有地になってる山には古墳があり、地面を掘れば須恵器がわんさか出てくる面白い森でした。
10月1日の日曜日クラスの終了後にその森で「遠賀開闢」の祭りをおこなうことが9月29日の夜にいきなり決まってしまい、急いで祝詞をつくり、海の幸・山の幸や他にナゼか竜胆(りんどう)の花が必要なので大量に用意していただき、蚊に刺されながら宵祭りをおこないました。
また、今までにはなかったことですが、祭りにはクラッカーを用意しろと。
これ、当たり前田のクラッカーやナビスコのリッツなどてはなく、紙テープが飛ぶクラッカーですね。
祭りの最後に天と地に向けて鳴らせとのことだったので、七福神祝詞の後にみんなで思いっきりパーンパーンってやかましいほど鳴らしてやりました。
整体教室にはボロンの理恵ちゃんが参加してくださってて、本当は土曜日クラスなのに今回は都合で日曜日クラスに変更だったため、森の中での”宵祭り”と森の麓の池でそれぞれ1曲ずつうたっていただきました。
和ローソクだけは手に入らないと諦めていたら理恵ちゃんがお土産に持ってきてくれてて、本当にいろいろと助かりました。
10月1日の「101」は”和合”の数霊なので、海を渡って来た民族同士の争いが残した遺恨を和合に変え、遠賀の開闢を祝ったわけなんですが、遠賀川の河口って昔はとんでもなく広範囲に渡っていたんですね。
古代の地図を手に入れましたが、遠賀川って昔は川ではなくかなり広い湾になっていたんですね。
今さらながら遠賀の範囲を勘違いしてました。
それに遠賀川流域には古墳がたくさんあるため、これまた興味が尽きませんが、古遠賀と呼ばれる地域は恐ろしく広いので、あーあ、「諏訪古事記」のゲラを修正し終わってひと安心と思いきや、間髪入れずに今度は九州ですか。
というわけで、「糺日本書紀」はまず遠賀川流域から始めることにします。
そうそう、「糺日本書紀」は”ただすのにほんしょき”と読みます。