諏訪と宇陀と白山サミット

イベントインフォメーションに「諏訪と宇陀と白山、封じられた歴史の扉が開かれし夜」の案内を出しましたが、どうして諏訪と宇陀と白山なんだろうと思っていたところ、『数霊 諏訪古事記』の321ページにこんなことが書かれていました。自分で書いておきながら、完全に忘れていた。
そうか、それで急きょこのようなイベントが決まったというわけだったのか。恐れ入ります。

(『諏訪古事記』321ページより)

「今を生きる者たちが
 宇陀と諏訪を結びたように
 宇陀と白山つなぐれば
 裏の回廊 開かれる
 我れら根の国 はやすでに
 つなぎておるが 歴史とやらは
 いまだ分断されしまま」

「根よ葉よ茎よと分けたとて
 根のない草木は弱きもの
 逆さに返して眺むれば
 根と枝 姿は同じなりて
 過去と未来もつじつま合わせよ
 上には上の 下には下の役割が
 ありておるが根を切れば
 葉や茎・花は枯れるぞよ
 都合の悪き過去を閉じれば
 明るき未来も枯れるぞよ
 根は水を
 葉は火(日・陽)を受ける容れ物よ
 二つ揃うて”一(いち)”となり
 どちらが欠けても育たぬぞ

 今を生きる者たちは
 歪めた過去に終わり告げ
 歴史を糺(ただ)す勇気持つ
 いやめでたきかな
 赤く塗り替え生き直し」

いかがでしょうか。
途中に出てきた”白山”はハクサンではありません。シラヤマです。
白山がハクサンと読まれる(呼ばれる)ようになったのは江戸時代の中期以降のことらしく、それも諏訪古事記に書いてありました。

宇陀といえばこれでして、2009年ごろからこんなことを聞かされていたんですが、まだ未解決のままです。

(『ヱビス開国』の363ページと『諏訪古事記』の102ページ)
「宇陀の歴史は逆さ吊り
 神軍同士で争いて
 血で血を洗う戦いぞ
 正義のもとに神軍は
 互いの刃(やいば) 交差して
 長き歴史は綴られし
 …………………」

それで宇陀へは何度も通いつめましたが、何が逆さ吊りなのかが判らぬまま、やがて舞台は諏訪へ。
諏訪でオンバシラを夢中になって曳いていたいた2016年のこと。

「よもや宇陀を忘れたわけではあるまいな」

って、忘れていたわけではありませんけども………………

というわけで、逃げるのは無理ってことですかねぇ。やれやれ。

諏訪・宇陀・白山サミットでお会いできることを楽しみにしております。。
あれっ、サミットの4日前は白山ツアーじゃんか。なんかヤバいかも。けど知ーらない。