糺日本書紀 part20

大訂正その2。と言いたいところなんですがその前に、聖徳太子話題はみなさん食い付きがいいですね。
大河ドラマで国民に一番望まれてるのが聖徳太子だそうで、けど本当に実在だとすると太子は西突厥(にしとっけつ)の王か武将なので、現代でいえばカザフスタン人になってしまいます。NHKが聖徳太子役をカザフスタン人にやらせるのはまだ無理でしょうね。
それに高句麗の女性に生ませた娘を倭国(日本)へ連れてきて倭国王(天皇)にしているらしく、そんなことをNHKがどこまで描くのだろうか見てみたいですが、まぁ絶対に無理でしょうね。
そのカザフスタン人は相当な権力や腕力を振るい各地を制圧してきたようで、特に唐には反発し続けていたようです。反唐派の急先鋒ですね。まるで後の天武天皇みたいだ。

だから太子は唐に対しても「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」などと対等な立場で接していたんですね。倭国や百済・新羅・高句麗の人では絶対にできないですし、唐と対等であろうとは考えもしないでしょう。
それと残念ながら、聖徳太子は世間が抱いてるイメージのような聖人君主ではないようです。太子も聖人君主にされるのを迷惑がってるかもしれないですし。”オレはもっとワイルドだぜ”って。

さて、話を天智・天武・鎌足に移します。
一番の疑問は天武が本当に高句麗の武将である淵蓋蘇文(エン・ガイソブン)かどうかなんですが、天智については百済の武王の王子である翹岐(ギョウキ)で決まりかもしれません。
父である武王が殺され、その後王位に就いた義慈王に百済を追い出されたのが641年11月~642年正月ごろ。このとき武王の王妃(ギョウキの母)たち以外にも、とりまき40人あまりが一緒に島流しになっていて、済州島へ向かいました。
しばらく済州島に滞在して、643年2月に筑紫へ上陸してますが、武王の王妃でありギョウキの母というのが後の斉明天皇なんですね。また、ギョウキと済州島の女性との間に生まれた子が高市(たけち)皇子で、のちの持統天皇はこの高市で間違いないと思われます。そう、持統天皇は女性でもなければウノノサララでもないんです。
話をギョウキに戻しまして、彼は倭国入りすると中大兄の名前で日本書紀に登場してます。のちの天智天皇ですね。
以前このコーナーで、天智のやらかした悪行は、実は鎌足の仕業と申しました。そして、天智の拠点は筑紫であって、ヤマトへはまともに入ってないとも。
このことについては訂正させてください。少しは入っていたかもしれません。
そして鎌足の企てなんですが、さらなる黒幕がいるようなんです。
それが大海人(のちの天武天皇)のようでして、まだ確信には至ってませんが、たしかに黒幕天武説は説得力があるんです。
それで天武の正体が高句麗のガイソブンだとすると、日本の古代史は東アジア~中央アジアの政治的な動きと複雑に連動していて、歴史上の人物で日本人と考えていた人も実は外国人だらけのようです。
ちなみにガイソブンは日本書紀でイリカスミの名前で登場したり、安倍臣であったり高黄金であったりしてますが、海犬養連勝麻呂とかもガイソブンかもしれません。即位前の天武天皇です。複雑になってまいりました。

それと、鎌足についてですが、どうやらその正体は義磁王を父に持つ智積(チシャク)でなかろうかと。
ですが話がバラバラになってしまったため、また改めます。