数霊文庫収録の『数霊』シリーズ等の著者、深田剛史氏へのインタビューです。
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Q:深田さんは生まれも育ちも名古屋と聞いてますが、お爺様やひいお爺様が神主をされてたということは、古い先祖さんの時代から名古屋にお住まいなんですか?
A:はい。調べてみたら今の地(名古屋市守山区の志段味地区)へ移り住んだのは元禄13年です。西暦だとちょうど1700年ですね。
Q:えーっ。というと、もう320年に。
A:そうなんです。けどその当時は民家なんてほとんど無かったみたいですよ。人の数より古墳のほうが多かったりして。
Q:そうか。最近、志段味地区の古墳群は全国的にも注目されてますからね。
A:我が家の地区だけで約70基の古墳がありまして、つい先日(2019年4月)には「しだみ古墳群ミュージアム」なるものがオープンしました。
この地へ来る以前は岐阜県美濃加茂市の深田町にいたようです。深田町には深田神社がありまして、調べに行ったんですが深田町に深田姓は一軒もなく、かえって珍しがられました。
Q:ということは、住んでた地の名前を性になされたと。
A:そうかもしれません。深田町以前はどうやら犬山城にいたというか。つまり、深田の先祖の初代は犬山城藩主石川備前守光吉の子だったみたいで、いえ、正統な血筋ではなく殿様が正室以外に生ませた子なんですが…………
Q:なかなか興味深い話ですね。
A:ところが、関ヶ原の合戦で光吉は西軍、つまり石田三成側についたため、結局は城を追い出されることになったんですね。ただ、ボクの先祖は直系ではないので、いまひとつはっきりしない点があります。直系の人は今でもいらっしゃいまして、岐阜県羽島市にお住まいの男性とは以前お会いしたことがあります。
Q:よくそこまで判明しましたね。
A:深田の姓については調べている人が他にもいて、その人から連絡があったのでお互いの系図や資料を照らし合わせてみました。そしたら面白い話が聞けて。
Q:といいますと?
A:深田家の先祖の中に徳川家康を討とうとした者がいたんですって。けど、謀叛がバレて打ち首になったそうです。もし成功していたら、江戸時代はまったく違っていたかもしれないですね。
Q:すごい話だ。
A:ボクが権力に逆らいたくなるのは、その先祖さんの性分を受け継いでいるからでしょうかね。とにかく、権力を振りかざす輩がいると、ついつい成敗したくなってしまいまして。困った性格です。
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Q:『臨界点』や『遷都高天原』では円空さんが出てきますが、円空さんについても研究されているんですか?
A:円空仏は大好きですよ。円空仏があると聞くと、あちこちかなり山奥のお寺まで出掛けてますけど、研究というほどではありません。マニアの域には達していないので、ファンです。
円空仏
あっ、そうだ。実はボクの先祖の中に深田円空という人がおりまして、犬山城藩主光吉の孫ということになってます。江戸時代、尾張藩の儒学者であり天文学に精通していたらしいんです。公式の資料に残ってますから間違いないでしょう。この深田円空は仏師の円空さんより30年ほど古い人なので、仏師の円空さんの名を真似たのではないと思います。
Q:ちょっと待ってください。儒学と天文学に精通していたんですか。それって、まるで今の深田さんじゃないですか。だって宗教哲学も素粒子天文学も詳しいですし。深田さんは深田円空さんの生まれ変わりだったりして。
A:実は自分でもそう思ったことはあります。というのも、深田円空さんが亡くなったのは1663年で、ボクはその300年後の1963年に生まれてます。
しかも深田円空さんの命日は4月17日なんですが、4月17日の年対称日は10月17日になりまして、ボクの誕生日が10月17日なんですよ。
Q:うっわ、鳥肌!
A:20年ほど前になるでしょうか。深田円空さんのお墓が名古屋の八事霊園にあると聞いたので探しに行きました。夏の暑い日、お供えの花と線香を持って。
ところがです。八事霊園ってメチャクチャ広いんですよ。はるか先までお墓が続いていまして、着いた瞬間にこりゃ無理だって思いました。
けど、せっかく来たんだから少しぐらいは努力しようと思い、目星をつけた方向へと歩き始めたんですね。とはいえ、何万とあるであろうお墓から探し出すなんてほとんど不可能でしょうし、もう汗だくですよ。だから、あそこの角まで行って見つからなかったらもう帰ろうと決めたんです。そしたらその角が深田円空さんのお墓でした。
Q:マジですか。やっぱり生まれ変わりですって。
A:先祖さんが導いてくださったんでしょうかね。
そんな導きを素粒子の“ふるまい”から科学的に解明しようとしているのが『遷都高天原』です。
Q:なるほど。面白いです。
A:けどですよ、深田円空さんは立派な人だったでしょうから、ボクのような不真面目でフシダラな人間が生まれ変わりのはずはありません。でしょ。
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Q:深田さんはこれまで数多く全国の神社を巡ってらっしゃいますが、特に印象に残ってる神社はありますか?
A:難しいですねぇ、たくさんありすぎて。けど、強いて挙げるとすればひとつは岐阜県石徹白の白山中居神社であり、ひとつは福井県勝山市の平泉寺白山神社でしょうか。あっ、どっちも白山だ。本来は“ハクサン”じゃなくて“シラヤマ”ですけど。
Q:私も行きました。本当に素晴らしかったです、どちらも。
A:白山中居神社は白山信仰においてもっとも重要な場所ですね。白山信仰での原点ともなる古き神が祀られてますので。その祀り方なんですが、イナウを使って神を祀るアイヌ民族の方法とそっくりなんです。以前、北海道の二風谷でアイヌ人のチセ(家)に泊めていただきましたが、チセの外にイナウが同じように並べて立ててありました。
アイヌ人が祀るイナウ
Q:白山信仰とアイヌ民族、アニミズムにおける共通点なんでしょうか。とても興味深いですね。
海外ではどうでしたでしょうか。エジプトやイスラエル、トルコで有名な教会やモスクなど、たくさん行かれてますよね。
A:あー、そこへ来ますか。気になりますよね、それは。
こんなこというと語弊があるかもしれませんがはっきり申しますと、手入れの行き届いた日本の神社ほど清々しい宗教的人工建造物は、世界中のどこを探してもありません。
Q:そうなんですか。
A:人によっては美しく神秘的な教会で厳かさを感じることもあるでしょう。それを否定するつもりはまったくありません。
けど、もっと全体を捉えた場合、宗教的な建造物としては手入れが行き届いた日本の神社が世界一です。これは断言できますよ。キリスト教の教会もイスラム教のモスクもユダヤ教のシナゴグも大自然とは分離した存在ですし、その多くが宗教臭くて重いんです。まぁ日本にも行者が滝行をしている重たい行場はありますけど、手入れの行き届いた神社はどんよりしてないですよね。それに大自然と一体化してますでしょ。大自然に溶け込んでいると言ったほうがいいのかもしれません。
Q:だから日本人の感性は豊かであり、大自然から“微”なるものを感じとることができるんでしょうか。
A:そうです! まさにその通りなんです。神社へ行って外側の神を追いかけたり、御朱印もらうのにエネルギーや時間を使うんでなく、清らかな場で内側の神を解放してほしいですね。まぁいいけど。
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Q:次の質問は先ほども少し触れられましたが、『遷都高天原』でテーマになっている“神と人の意識と素粒子”についてです。
いつかは素粒子物理学で神の存在なども証明できるんでしょうか?
A:待ってました。できるかもしれませんよ。
素粒子の中でもニュートリノにはもっとも注目してまして、スーパーカミオカンデがある神岡(岐阜県飛騨市)や、スーパーカミオカンデに向けてニュートリノを撃ち込んでいるつくば市のJーPARC(高エネルギー加速器研究機構)などへは何度も通いました。
そのお陰で神岡に新しくオープン(2019年3月)したカミオカラボでは梶田隆章教授(2015年にノーベル物理学賞受賞)にお会いでましたし、小柴昌俊教授(2002年にノーベル物理学賞受賞)が常宿にされていた茂利旅館では教授と同じ部屋に泊まらせていただけたりとか。それにJーPARCで、あの有名なヘヴィメタ(?)の物理学者多田将さんと何度もお会いできました。多田さんはリケジョ(理系女子)から“将サマ〜”って呼ばれてるんですよ。
梶田隆章教授と
将サマと
Q:物理学者がアイドルになるとは時代も変わりましたね。
A:ホントに。
話を戻しまして、神の存在の証明については素粒子の研究だけでなく、今後は脳科学も重要になってきます。いかに脳内で未知の出来事が起きているのか。それは妄想だとか思い込みといったことではなく、どのようにして奇蹟が起きるのかといったメカニズムが脳科学で解明できるはずですから。あとはDNAのさらなる解析と。
Q:んー、難しいんですね。
A:奇蹟を起こすメカニズムを科学的に解明するのは難しくても、奇蹟を起こすメカニズムを発生させるのはそれほど難しくありませんよ。
Q:そうなんですか?
A:奇蹟を起こすのに必要なことは“決意”と“覚悟”です。ゆるぎない決意をもって覚悟を決める。そして世間に惑わされることなく信じた道を歩めば、奇蹟が起きる可能性は高くなりますから。
脳科学や素粒子での解明は専門家に任せておきましょう。
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Q:では次の質問になります。今、一番やりたいことは?
A:日本書紀のデタラメをあばいて『糺日本書紀』を書き上げること。ただ、このことについては質問しないでください。しゃべり出すと夜明けをここで迎えることになりますので。
あともうひとつ、諏訪でオンバシラを曳くこと。
Q:『諏訪古事記』読みました。次のオンバシラ祭りには私も参加したいです。
A:了解しました。氏子大総代さんにお願いしておきましょう。ですが次は2022年なので、もうしばらく待たなければいけませんよ。
Q:深田さんにとって「数霊」とは?
A:んー、そうですねぇ。「数霊」です。
Q:そのまま、ですか。
A:言葉で説明しようとすると、どうしても補いきれない面が出てきてしまいます。なので不足のない唯一の答えは、質問そのものなんですが、この話は禅問答を学べば出てきますよ。“曹渓、一滴の水”っていうんですが、止めましょう。失礼しました。
それで、数霊なんですが、そうですねぇ、んー、どう表現したらいいのか……………うん、“数霊”です。
Q:結局そうなるんですね。禅問答、学んでみます。
それでは最後の質問になりますが、フィクションシリーズには神々からの教えがたくさん出てきますよね。その中で特に座右の銘のようにして大切にされているものがあれば教えてください。
A:それもたくさんあって選べないんですが…………(しばらく考えて)…………木曽御嶽山の七合目に祀られてる田の原大黒天さんからの教えがそのひとつでしょうか。『日之本開闢』に出てるはずです。
『何も持っておらずとも
すべてが足りている自分をつくりなされ
手ぶらであっても
何も足りないものがない自分でいなされ
ただそのままで
全部の力が出しきれる自分になりなされ
どんなときでも困りはせんぞよ
どこへ行っても安泰ぞよ』
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◎著者紹介
深田剛史(ふかだたけし)
1963年10月17日生
うさぎ年、一白水星、B型
名古屋在住
祖父・曾祖父が神主をしていたからなのか、幼少のころから見えない世界に導かれることが多く、そのため今でも日本古来より受け継がれてきた精神文化の尊さを、徒党を組まずに説いているようだ。
フィクションシリーズに毎回登場する東谷山の尾張戸神社も、かつては曾祖父が神主だったためであろう、生まれながらにして深い縁がある。
とはいえ、著者は愛知県人のくせして信濃国(長野県)と飛騨国(岐阜県北部)をこよなく愛し、特に信濃国に関しては好きすぎてちょっと病的だ。
聞くところによると最低でも半年に一度は信濃を訪れないと禁断症状が現れるそうで、身体がだるくなり手足や首が震えるとのこと。
以前、1年近く信濃を訪れることができなかったときは呼吸困難に陥り、幻覚や幻聴も現れたらしい。完全に病気だ。可哀想に。
なので『諏訪古事記』を執筆しているころは取材とかこつけて信濃へ2年で40回以上も訪れることができ、これまでになく体調は良いし精神的にも安定していると笑顔で語っていたが、実におめでたい男である。
著者紹介といっても他に取り立てて紹介することなどないし、本人からは自慢になるようなことを絶対に書くなと止められているため、この程度の話しかできない。止められなくても自慢できることなどないと思うのだが。おめでたいだけでなく面倒くさい男だ。
それにこの男、日本古来から受け継がれる精神文化が大切だと説くくせに、“和”の精神が欠けている。気の毒な男だ。おめでたく、面倒くさく、気の毒とくれば、もう救いようがない。