コロナ騒動のお陰で書斎に引きこもる時間が増えまして、ですからずーっと日本書紀の登場人物を、韓半島(高句麗・新羅・百済)・中国(魏・呉・蜀~唐代まで)や中央アジア(ササン朝ペルシャや周辺の騎馬民族国家)の歴史上の人物と比較してました。
また、日本書紀には頻繁に出てくる讖緯説(しんいせつ)なるものもじっくり学んでみたんです。
それで久しぶりに日本書紀を読んだら、今まで理解不能だった内容が次々と理解できて面白いのなんのって。
日本書紀って、書いてあることをそのまま真に受けていては何も理解できないってことがよーく判りました。
で、理解できると幸福感に満たされるぐらいに面白いです。
例えば、何月何日に雷が鳴ったなんて書いてあっても、そのまま読んでいるだけだと、だからそれがどうしたんだ、って思いますよね。
けど、讖緯説を知ることで意味が理解できます。
雷が鳴るとは、民衆に離反の心が生じ、反乱が起きること。あるいは天罰がくだり王が死ぬといったことを自然現象に例えて記してあったんです。
天武9年(680)の1月20日、活田村(いくたむら=神戸市生田区)で桃と李の実がなりました、とあります。
春の花が冬に実をつけるのは、家臣が君主を思いのままにするということ。
つまり天武朝は15年まで続いたことになってますが、このときすでに家臣の反乱が始まっていたということ。
実は今まで、天武は天武11年(682)の8月に殺されて、翌年から4年間は大津皇子が即位していたと確信していましたが、天武の死はもう少し早かったのかもしれません。引き続き調べてみます。
天智9年(670)の6月、ある村で亀を捕らえた。背中に”申”の文字が書かれ、身体の上は黄色で下は黒だった、とあります。
“申”の字は”日”を”I”が貫いています。”日”とは王のことで、それを”I”が貫くのは王の権威に陰りがみえたか、あるいは権威を失ったか。
そして亀の身体は上が黄色で下は黒でした。
本来でしたら黒は天を、そして黄色は地を表すので、亀は上が黒で下が黄色でないといけません。
ですがこの亀は天と地が逆ですね。
つまり、天である王(天皇)と地である家臣の立場が入れ替わったことを讖緯説として残してくれてるんですね、日本書紀の編さん者たちは。
だって一応は天智は翌年まで即位していたことにしなきゃいけないので、本当のことは書けないでしょ。
さて、では天智は誰に天皇の座を追われた(奪われた)のか?
おそらくは前年の天智8年(669)10月16日に死んだことにしてある人物だと思います。思うだけですけど、今のところは。
その人物、実際には死んだのではなく、天智に入れ替わって権力の座に就いた………………のかもしれませんけどまだ判りません。
なぜなら、そうなるとまた別の矛盾が出てきて、それを解かねばならなくなりますので。
ちなみにですが、その人物の名は中臣(藤原)鎌足です。
この二人、めちゃくちゃ因縁深いし鎌足は相当なワルだったのでまだまだ続きがありますけど、それはまたいつか。