「木曾御嶽山 再び」

健太が約1000年前に、石徹白(いとしろ)の白山中居神社界隈で共に修行をしつつ、あんまり素行が悪いので一緒に破門になった仲間のカズヒっていうのがいるんですけど、そのカズヒが木曾御嶽山の帰りにこんなことを伝えてきています。
今のカズヒは見えない存在で、2011年5月初旬のことでした。
前作「時空間日和」の307ページ上段を開いてみてください。

『神界にも大きなハタラキがあってな、長野と岐阜で神々発動の合図がありそうだぞ、近々』

それが何を意味するのかが判らないため、ボクは312ページでこんなふうに結んでいます。
“2014年まで待とう”と。
そして2014年に…………

2011年11月11日、東京からこんなファックスが届いていました。

木曾御嶽  片ハタラキ

重い膜  光半分

謝罪  感謝  行場の清め

意味が判りませんよね。
最後の”行場の清め”については判らないでもないんですが、それを言い出すと御嶽講の非難になるので止めておきます。

御嶽山だけでは片ハタラキというなら、対になるところがあるはずで、それがここでは”日光”と”月山(がっさん)”らしいのです。

“月山”って言霊数は”光”と同じで「81」になるんですよね。
“日光”は”日本”と同じで「53」になりますが…………(2014年)9月3日、日光で震度5弱の地震がありました。
9月3日………「93」は”クニトコタチ”です。

そして、クニトコタチといえば木曾御嶽山。
んー、どう説明したらいいのか悩みますけど、どうやら「13の世界」が幕を閉じて「14の世界」が始まったらしい。
詳しいことは「時空間日和」に書きましたので省きます。

「13」→「14」へ
“クニトコタチ”は「93」ですが、御嶽山噴火の9月27日は旧暦だと9月4日なので、これも「93」→「94」へと何かが進化したのでしょうか。

そう考えると、今までは深い縁があった「101」ですが、最近では「102」として現れるように感じてましたし、「88」なんて頻繁に使っていたのが急に「89」へと変化したような気がしていました。
“お・も・て・な・し”も「89」ですし。
“ろ・く・で・な・し”は「150」、”ひ・と・で・な・し”は………まぁいいや。

話を戻して、なんで「1」ずつ増えるのか、今までの数霊として現れる法則(らしきもの)とはパターンが違いますが、何か変化があったような………

2011年4月に日光で予定していたお祭りは3・11で延期にしたまま。
かといって今は宇陀と白山だけでいっぱいいっぱいの爆発寸前です。
なので、”私の1名山”でもある木曾御嶽山はともかくとして、日光や月山はどなたかお願いいたします。
お願いしなくても縁のある人たちがされているでしょうけど。