「遷都信濃国 vol.9」

漢王(あやのみこ)は天智の異父兄ですから、天智より当然のこと年上になります。
天武を天智の弟としながらいろいろ矛盾があるのは、漢王がどこかで名前を改め大海人皇子として歴史に登場したからではないか?
といった、わりと正統的な仮説をvol.8の最後に紹介するつもりでした。
それだと天武が年上であっても簡単に説明がつきますので。
ただし、遷都先がナゼ信濃かについては、天武天皇(大海人皇子)=古人大兄皇子説の方が都合はいいですけどね。

話は変わりますが、vol.8で不比等と持統天皇が怪しい関係だったとしたら、と書きました。
当時は子供を母方の家で育てていたので、父が同じでも母が異なる場合は兄妹や姉弟は他人だとされます。
なので6~7世紀の王族には異母の兄妹が結婚する例がたくさんありました。
ですが、同母の兄妹や姉弟の場合、恋愛は近親婚になるため大きな罪になるんです。
で、不比等と持統は?

不比等と持統の場合、ともに父が天智天皇であっても、不比等の母は天智の下級女官だった安見児(やすみこ)という女性で、後に天智は安見児を鎌足の妻に加えています。
一方、持統の母は蘇我石川麻呂の娘で遠智娘(おちのいらつめ)ということになっています。
なので、もし2人が怪しい関係でも母が異なるため許されるんです。以上。

天武天皇に戻りますが、万葉集を古代韓国語で解釈すると、とんでもない意味合いであることが判ります。
そのような歌は、いくら専門家があれこれ漢字の意味を考え抜いても、日本語でムリヤリ解釈しているうちはトンチンカンな内容になってしまうんです。
そりゃそうですよね、韓国語の発音に漢字を当てはめて詠まれた歌なんですから。

この本、15年ほど前に読んで衝撃を受けました。
「天武と持統  歌が明かす壬申の乱」イ・ヨンヒ著、文藝春秋。
著者によると、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌など、複数は天武暗殺を嘆いている内容なのだと。
そして、天武を殺害したのは、なんと大津皇子になっているんです。
漢字の意味は考えず、歌の音を古代韓国語で解釈すると、日本語では意味不明の言葉もすんなり読めるのだそうです。
ちなみに額田王は徹底して新羅言葉で歌を詠んでいるそうで、現代での慶尚道方言なんですって。
そんなこと、日本人には絶対に判らないですよね。

小林恵子著「高松塚被葬者考」(現代思潮社)にも、天武天皇が大津皇子と高市皇子らによって殺害されたのはやはり事実であった………と記されているようです。
また同書には、万葉集は血みどろの歴史書である、とも。
さらに、高市皇子は天武天皇の皇子だと誰もが思い込んでいるでしょうが、実は天智の皇子かもしれないという学説が有力になってきているのだとか。
小林恵子氏の著書に書かれているのだから、安易な思いつきとは考えられません。
ダメだ、アタマ痛くなってきた。

天武天皇崩御は西暦686年9月9日が通説ですが、最近では682年8月の5日あるいは11日かもしれないとも考えられています。
では天武殺害後の天武11年~15年までは誰が即位していたのか?
おそらく高市皇子であると…………

高市天皇の没後、持統の吉野通いが止まっていますが、その吉野通いについてを弓削(ゆげ)皇子が詠んで額田王に贈った歌は傑作です。
日本語解釈だと何のことやらさっぱり判りませんが、古代韓国語での解釈は持統に向けた悪口でして、よっぽど怒っていたのでしょうね、持統の吉野通いを。
学校で万葉集って習いますよね。
漢字を元にした日本語解釈では意味不明で生徒が可哀想だから、本当のことを教えてあげてください。

「八幡」を韓国語の発音で読むと「大海」と同じ意味になるそうです。
大海人って、何を意味しているのでしょうか?

天皇に与えられた諡号も韓国語の音から解釈すると、驚くような謎解きが可能になり、イ・ヨンヒ著「天武と持統  歌が明かす壬申の乱」での、第2代綏靖(すいぜい)天皇=第14代仲哀天皇=第40代天武天皇の解釈は、日本人には解読できない面白さがありました。
持統の吉野通いも、目的は不比等ではなく、えー、マジッすか?

ここのところ尾張氏やヤマトタケルや遷都先の信濃から離れてしまっていたので、vol.10では目先を変えます。

続く。