「8」にて知らす 「88」の
「8」の理(ことわり) 弥栄に
尾張始まり(尾張は締まり)
終わりの地
尾張の御針(おはり)は熱田の地
分水嶺になりぬべし
…………(続きは後で)
天武天皇にばかりスポットを当てておりましたところ、業を煮やしたのでしょうか、こんなのが届きました。八坂入彦さんに関することでございます。
八坂入彦は第10代崇神天皇と尾張大海媛の間に生まれていますが、崇神天皇をどう捉えるかが悩みどころで、単純に神武=崇神ともいかないところが難しくもあり面白くもあります。
それで、「8」は何を意味するのでしょうか?
「8」はもちろん”八坂”の「8」ですけども、「8」や”八坂”で思い出すのはスサノヲノミコト。
それに日本は大八洲、八百万の神々、八咫鏡に八尺瓊勾玉、八咫烏…………そうそう八咫烏についてですが、八咫烏と三本足の烏は別物です。
そもそも古事記や日本書紀に登場する八咫烏は、三本足だなんて書いてありません。
古代漢時代の中国では、太陽に黒点があるのは烏が棲んでいるからと考え、その烏を三本足の三足烏(さんぞくう)に見立てたんですね。
平安時代に八咫烏を中国の三足烏と結びつけて考えた人がいまして、その人の意見がそのまま今に伝わっているんですが、南北朝時代の政治家で「神皇正統記」を著した北畠親房も、江戸時代の国学者で「古事記伝」の著者本居宣長も、八咫烏と三足烏を同一視することを否定しています。
なので、八咫烏が三本足になったのは後付けでした。
話を戻しまして八坂入彦の続きですけども、話題が逸れてしまったので始めから。
「8」にて知らす 「88」の
「8」の理(ことわり) 弥栄に
尾張始まり(尾張は締まり)
終わりの地
尾張の御針(おはり)は熱田の地
分水嶺になりぬべし
謎解きは
始まり終わり(尾張)
くくりの宮(泳宮・八十一隣之宮)に
からころも(唐衣・韓衣)
88(やや)もしたれば
とお(十・遠)になり(鳴り・成り)
険しき山と見えたるが
やまとは(山とは・大和は)なんぞ
いにしえびとの
八坂(弥栄)入彦 連れ出さん
これ出来たるは亀仙人
頭と心 合わされて
そのわけなりて「8」残し
解いてくだされ お願い申す
これが全文でして、今回は東京からではなく大阪から来ました。
東京からのも大阪からのもナゼかボクは「亀仙人」になっていまして、エルサレムへ行く前に対馬の和多都美(わたつみ)神社で磯良エビス神事をしたころから、そう呼ばれるようになりました。
それについては「ヱビス開国」に書いたような…………
さて、これは解釈が難しいです。
八坂入彦さんを大和へお連れすればいいのでしょうか?
いえいえ、そんな単純なお話ではございません。
これまでとは違った解釈で「8」を意味付けすることが必要なようです。
他にもパズルのピースとして、途中に出てきた”尾張の御針”とは草薙剣のことでしょうし、それが置かれる熱田の地(熱田神宮)、唐衣・韓衣、岐阜県可児市久々利(くくり)のくくりの宮(泳宮・八十一隣之宮)、きっと崇神天皇や后の尾張大海媛の正体も。
さらには、景行天皇という架空の存在を創作することで、その功績が潰されてしまったであろうヤマトタケルなど、複雑に絡み合っていそうです。
そういえば名古屋市の記章は”○(の中に)八”でして、子供のころはダッサいマークって思ってましたが、今となっては興味深いです。
古墳といえば前方後円墳が代表的ですけど、八角形の八角墳が飛鳥時代の天皇陵にのみ造られていまして、天武・持統天皇陵も八角墳であることを宮内庁が明らかにしました。
八坂入彦が伝える「8」との関係はまだ判りませんが、ひとつのピースとして憶えておきます。