「遷都信濃国 vol.19」

アマテラスって誰?…………妙に納得してしまう仮説のひとつ。

ここでのアマテラスは天照皇大神(アマテラススメラオオカミ)のことではなく、女神アマテラスです。
天照皇大神の正体はご存じ天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコ・アメノホアカリ・クシミカタマ・ニギハヤヒノミコト)、つまりニギハヤヒですがそのアマテラスではなく、不比等氏がニギハヤヒ隠しに用意した女神アマテラスは誰を想定して創作されたのかということです。
この不比等アマテラスが今や超一般的に伊勢内宮のアマテラスとして、そして女神のイメージも定着してしまっていますが、そんなアマテラスにもモデルがいます。
不比等氏は神をモデルにして人(支配者・権力者)を神に見立てたのではなく、人(自分たち)をモデルにして神を創作したのだとしたら…………やることがスゴすぎる。

不比等さんが自由に編纂した日本書紀は、高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)が出雲の国譲り(本当は国奪い)を主導したことになっています。
不比等さんは誰をモデルにしてタカミムスビを創作したのでしょう。
そのモデルはズバリ、不比等さんの実の父であろう天智です。
ならば仮の父である鎌足はというと、ちゃんと天つ神に含まれていまして、八意思兼神(ヤゴコロオモイカネノカミ)がそうです。
ただしオモイカネは不比等さん本人かもしれません。アマテラスに智恵を授ける側近中の側近として。

それで不比等君のアマテラスが誰かということですが、おそらく持統で間違いないでしょう。
天武が世を去り、持統と不比等君の天下が訪れたもんだから、自分たちをモデルにして天孫降臨の神話まで創作してしまった。
天孫降臨の”天”とはアマテラスで、アマテラスは持統なので、降臨した”孫”は珂瑠皇子(カルノミコ。後の文武天皇)です。珂瑠皇子がニニギということになるわけです。

不比ちゃんは、いえ持統女帝は愛しき我が子の草壁皇子を若くして亡くしたため、孫の珂瑠皇子を絶対的な存在にしたかったのでしょう。
それを(もし持統の父が本当に天智であるならば)腹違いの弟である不比ちゃんが神話にダブらせた。
あの卑弥呼も弟が補助をすることで国を治めていたと、魏志倭人伝には書かれています。
ただし日本書紀にも古事記にも、卑弥呼や邪馬台国の名前は出てきません。
もちろん不比ヤンも持統女帝も魏志倭人伝の存在は知ってましたので、不比ヤンは卑弥呼さえも持統に置き換えたかったのでしょうか。

藤原の不ぅたんはニニギを出雲に直接降臨させず、日向の高千穂に降ろさせました。
宮崎の西都原古墳群は大小311基の古墳から成る巨大古墳群ですので、当時から日向では多くのムラが集まり集合国家を形成していたのでしょう。
不ぅたんはそれも利用したのか、それとも何かに気遣いしなければならない血筋の縁があったのか、ニニギは日向に降臨したことにして、出雲の国譲りもヤマト建国もすべて自分たちへとつながり、それはまったく正当であるように仕向けたと思われます。
だとしたら天才だ、藤原の不ぅたん。

天智が鎌足にそそのかされて利用されたように、持統も不ゥリンにそそのかされて天武を切り捨てたのか、あるいは初めから仮面の夫婦だったのか、それとも天武を裏切ったフリをして最後まで天武の血筋を護り通そうとしたのか。
まだ答えは見つかっていませんが、妙に納得できる仮説なのでした。

先日、長野県松本市の浅間温泉へ天武天皇の遷都について取材に行った際、観光協会で紹介していただいた地元の古代史研究家から資料が届きましたので、次回は久しぶりに本題である信濃への遷都に戻ります。戻るつもりです。戻りたいなぁ。戻れるかなぁ。