「遷都信濃国 vol.21」

諏訪はナゾが多く、いや諏訪もナゾが多く、古事記に書かれているようなタケミナカタが追われて逃げてきたのが「諏訪」で、やっと諏訪の歴史が始まったように考えるのは、それまでの諏訪や信濃国の歴史に対する冒涜でしょう。
そもそもタケミナカタがタケミカヅチ(まぎらわしい名前だ。わざと混乱をまねくために創作された名前としか思えない)とやらに追われて逃げた”負け犬”ならば、島津藩が戦(いくさ)の守護神にタケミナカタを選ぶわけがなかろうに、マカローニ、そうだろうに。
現在でも鹿児島には南方(ミナミカタ・ミナンカタ)神社がいくつかあり、諏訪のタケミナカタが祀られています。
ということは、知っていたんでしょうね、明治以前は、諏訪の力の偉大さを。

そして古事記に書かれたことを史実とは考えなかったのでしょう。賢い。いや、フツーだ。明治以降が異常なのだ。

ナゼか日本書紀にはタケミナカタがタケミカヅチに追われた話が出てこないし、そもそもタケミナカタの名前さえ登場しないらしいんですが、どうしてなんでしょう?
しかも古事記にしたところで、タケミナカタを大国主命の子としておきながら大国主命の神統譜に入っておらず、ヤマト朝廷は諏訪をどうしたかったのでしょう。
当時の諏訪(あるいは信濃国)の勢力があまりにも強大だったため、せめて神話の中では支配したことにして、内容に矛盾が生じてもとにかく諏訪を潰しておきたかった。そうだよね。

さて、このタケミナカタ。
建速須佐之男(タケハヤスサノヲ)や倭建(ヤマトタケル……※日本書紀では日本武尊)と同じように、”建=勇ましい男”だとしたら、建御名方も勇敢で勇ましい男を表していることになるため、御名方(ミナカタ)が名前になります。個人または氏族・種族の。
なので鹿児島ではミナカタが「南方」の名で祀られているのでしょうが、鹿児島は南の国だから「南方」になったわけではないと思います。

新大阪で新幹線を降りて地下鉄御堂筋線の梅田・なんば方面行きに乗ると、ひとつめの駅が「西中島南方」です。
初めて聞いたときは西なのか真ん中なのか南なのか、はっきりせぃと思いましたが、あそこも「南方」ですね。

御名方・南方のミナカタと宗像のムナカタは元がひとつなんでしょうか?
また、諏訪は”南宮さん”とも呼ばれていたことがありまして、南宮の名を持つ神社は全国にわずか4社のみ。
☆美濃国の一ノ宮「南宮大社」
☆伊賀国の一ノ宮「敢国(あえくに)神社」
☆信濃国の一ノ宮「諏訪大社」
☆摂津国、現在の西宮市大社町の「廣田神社」
で、共通しているのは製鉄神を祭神としていることです。
廣田神社は脇殿の南宮に諏訪のタケミナカタ(南方刀美)を祀っています。

製鉄神といえば金山彦ですが、ニギハヤヒの次男であり尾張連や熊野連の祖とされているアメノカグ(ゴ)ヤマも「カグ(ゴ)ヤマ」は鍛冶神、または鉱山そのものと見なされていて、鉄です、鉄。やっぱり鉄なんです。
その事については古事記も日本書紀も共通していて、古事記では天香山を「天金山」と書き、鉄(かね)を採って鏡を作ったと記されているそうです。

壬申の乱で大海人皇子は美濃の南宮大社近くに行宮(あんぐう=仮の宮居)を置きました。
また、大海人皇子の命によって最初に兵を挙げたのも南宮大社のすぐ隣り、当時の安八磨(あはちま)郡です。
このあたりは伊吹山の麓なんですが東側には金生山があり、この山からは上質な鉄が採れました。
それで山が赤かったのでしょう。地名も赤坂といい、金生山を赤坂鉱山とも呼んでいます。
大和岩雄著「神社と古代民間祭祀」によりますと、
「鉱山のある金生山の北側は鉄、南側は銅が多く産出し、”関の孫六”で有名な関市の刀工も赤坂から移った」とのことです。

大海人皇子と縁の深い
☆南宮大社(御祭神は金山彦)
☆伊富岐(いぶき)神社
(※伊吹山の麓にあり、大海人皇子は壬申の乱で伊富岐神社のすぐ近くに行宮を置いた。南宮大社からは北西に約3㎞)
☆尾張氏
☆大海氏
(※大和国葛城の氏族で、大海人皇子を養育したとされている)
☆伊福部氏
(※伊富岐神社を祀るのが伊福部氏であり、壬申の乱で最初に兵を挙げた安八磨郡には伊福部郷がある)

前出「神社と古代民間祭祀」によりますと、
「これらの神社や氏族に共通しているモチーフは金属生産であり、まさしくそれは大海人軍を勝利に導く最大の要因だったにちがいない」
と結論づけられています。

というわけで、鍵になっているのは鉄でした。
≪鉄≫
原子番号:26、元素記号:Fe
おもな同位体(アイソトープ)
Fe54(陽子26、中性子28)
Fe56(陽子26、中性子30)
Fe57(陽子26、中性子31)
Fe58(陽子26、中性子32)