「諏訪古事記 番外編その5」

仕事以外では頭の中がほとんど諏訪なので、スーパーでレジ待ちをしているとき後ろに並んでいる客同士の会話が聞こえてきて、白髪のおじさんが発した
“そうなんですわ”
の一言に身体がピクッと反応して無意識に振り返ってしまった。びっくりしま諏訪。

土偶「縄文のヴィーナス」や「仮面の女神」が発見された茅野市は縄文遺跡の宝庫ですので、地元の研究家に案内をお願いしました。
それで、尖石考古博物館の館長さんや学芸員さんを紹介してもらいに博物館へ行ったら、学芸員さんは以前にもいろいろ説明してくださった男性でした。
改めて話を伺うとこの学芸員氏が面白かったので、縄文土器のモチーフになっている蛇についてお聞きしました。
「土器の蛇は何を意味しているんですか?」って。

当たり障りのない説明の後に学芸員氏独自の見解を聞かせてくださったんですが、学会に発表するつもりはないと前置きしてから、
「縄文土器のすべてが複雑な形をしているわけではなく、弥生っぽいフツーの土器もたくさんあるわけです。あまり目を向けられていませんが。それで、蛇のモチーフの土器なんですが、栗などを蓄えておくためというよりも、蛇を煮炊きしたんじゃないですか。蛇を煮炊きするため土器にそれ用のモチーフを施した。煮炊きしたのはマムシかもしれませんけど」
蛇やマムシの煮炊き用、ですか。
学芸員レベルの人から異説を聞き出すのは至難の業で、これほど苦労なしに聞けたのはラッキーとしか言いようがありませんが、蛇のモチーフは土器に入れた栗などが蛇のエネルギーによって成熟することを願ったものだと思ってました。
次回はもっと掘り下げて聞いてみることにしますが、この学芸員氏は研究熱心で、他にも興味深いことを教えてくださいました。
縄文時代、栗などの実が不作だと人々は食料が足りないわけで、栗の実の不作・凶作についてを調べたところ、毎年4月の第4週の気温が栗の実のでき具合に大きく影響するとのこと。
4月第4週の7日間の平均気温が、平年の4月第4週の平均気温よりも1度高いと、その年はその地域の栗がまったく実をつけないという研究結果があるそうです。
そんな場合は遠くまで拾いに行ったのでしょうか。

尖石考古博物館の館長さんは守矢氏で、大祝諏訪氏が諏訪入りする前からミシャグチ神を祀っていた守矢氏の子孫でしょうからそれだけでも聞きたいことは山ほどありますが、実は1986年に棚畑遺跡で見つかった「縄文のヴィーナス」も、2000に中ッ原(なかっぱら)遺跡で発見された「仮面の女神」もこの守矢氏が掘り出しており、さすが守矢氏。
ちなみに「仮面の女神」を最初に発見して守矢氏に伝えたおばちゃんは、発見前夜に不思議なユメをみて、それで翌日に土偶を掘り当てましたが、後に国宝になるほどのものを発見したので行政からご褒美とか金一封とかが出たのかと思いきや、なーんにも出なかったそうです。ケチか。

茅野市には縄文時代の大きな広場の遺跡も見つかっていて、広場の中央には上部がくぼんだ岩が置かれていました。
どうやらそこは村々の代表が会議をする場だったようで、日本最初の国会とも考えられています。
かなり大規模な遺跡で、現在は埋め戻して保存されていますが、広場中央の岩は「聖石(ひじりいし)」と名付けられ遺跡から離れた田んぼの脇に置かれていました。
この聖石は船の形をしていて上部がくぼんでいました。
諏訪大社本宮も以前は「硯石(すずりいし)」と呼ばれる上部がくぼんだ石とその奥にそびえる守屋山を御神体としています。
そしてもうひとつ、上社(前宮・本宮)の御射山祭りで舞台になる御射山社にも、境内の中央に上部がくぼんだ大きな岩があったように記憶しています。
どの岩も雨が降れば水がたまる形状で、これも意味あってのことでしょうから調べてみます。