昨年12月、諏訪関連から甲賀三郎や兵主神(ひょうずしん)を調べに近江へ行きましたが、今回は諏訪とは別に琵琶湖の湖西地区を訪ねました。
近江国の高島市は何とものどかな湖岸沿いにありますが、古代は栄えたクニがあったのでしょう、鴨稲荷山古墳からは素晴らしく美しい金と銅の装飾冠(※写真1)や装飾履が出土しています。
高島歴史民俗資料館ではレプリカの展示でしたが、何でこんな山あいの静かな町からこれほどの装飾品が出てくるんだ、と驚きです。
これは朝鮮半島の加耶国(またの名を任那=みまな)の影響を受けた製品らしく、またこの地は第26代継体大王の生誕地とも伝えられているので、古墳の被葬者は大和や河内の有力者と深いつながりがあったのでしょう。
館内に客は誰もおらず暖房も効いてなくて寒かったんですが、館長さんの博学ぶりに圧倒されて1時間以上質問攻めをしたあげく、入場無料なのに資料をわんさかといただいてまいりました。
それで改めて製鉄の重要性を認識させられ、帰ってからさっそく「古代の鉄と神々」なる本を読み始めたところ、いきなり近江国の高島郡と鉄の話題が出てきました。
そして兵主神は鉄の神であり、その兵主神とはアメノヒボコであるのだと。
アメノヒボコとニギハヤヒは同じに考えるべきことが多く、だとすると兵主神=ニギハヤヒか?
しかし兵主神は百済経由で渡来した中国山東半島の鉄神「蚩尤(しゆう)」だとの言い伝えもあり、ニギハヤヒの正体は百済の第5代肖古王だよ説はともかく、中国山東半島から来たなんて聞いたことも考えたこともなかったのでしばらく保留にします。
もしニギハヤヒが百済系だとすると、新羅系のスサノヲとは親子でなくなるので、今まで書いてきたことを覆さなければいけなくなるけど、それはそれでいいや。
高島歴史民俗資料館の館長さんに勧められ、福井県の小浜市へ向かいました。オバマだもんなぁ。
まずは若狭町歴史文化館へ。ここも入場無料ですって。今日はまだお金を遣ってない!
で、役場の片隅をムリヤリ展示室にしたのかと思いきや、いきなり十善の森古墳の副葬品で金ピカ冠レプリカ(※写真2)があり、ありゃりゃ古代は瀬戸内海ルートが確立されるまでは日本海側が表玄関だったんですよね。日本海側を裏日本って呼ぶのは失礼極まりない話ですのでもう止めましょう。
それに2008年の立春に鏡開きがあり、表が裏に、裏が表になったので今後は日本海側が再び栄えることでしょうし。
北陸新幹線の開通や北陸勢初の敦賀気比高校全国優勝もその一端であり、しかも”福井”を数にすると「41」になりますが、敦賀気比の優勝も4月1日の「41」でした。
もちろん北陸だけでなく出雲も伯耆も因幡も但馬・丹波・丹後も越もますます注目していますので、よろしくお願いいたします。
若狭町歴史文化館には古墳から出土したアクセサリー類がたくさん展示してあり、わざとらしいほどの美品だったため担当者に「これもレプリカですよね」って聞いたら本物でした。失礼。
福井県立若狭歴史博物館には6100年前の、ということは縄文前期になりますが、漆塗りのクシ(※写真3:本物は撮影禁止のためこれはレプリカ)がありまして、ちょうど年に1週間だけの展示期間中に当たりました。ビンゴーッ。
刃物がない時代にどうやったら木をこんなに上手く削れるのかが不思議ですけど、おそらく黒耀石を使ったのだと思います。
若狭三方縄文博物館には周辺から11艘の丸木舟が出土していて、そのうちのユリ遺跡で見つかった5艘が展示してあり、作られた時代は縄文前期~晩期までの約3000年のうちだそうで、その時代から舟で漁に出ていたんですね。
北陸新幹線は福井から京都までのコースがこのあたりを通る予定ですので、工事関係者は困るでしょうけど、こちらとしては調査段階でさらに遺跡が発見されることを期待しています。