「諏訪古事記 番外編その10」

諏訪大社の上社(前宮・本宮)大祝(おおはふり)を受け継いできた神氏はその出自がはっきりしていないんですが、下社(春宮・秋宮)の金刺氏は初代の科野(信濃)国造タケイオタツノ命は熊本県阿蘇神社のご祭神であることが、社伝や阿蘇氏系図などによって明らかになっています。
文献があるからといってそれ史実であるとは限りませんが、有力な説のひとつですね。
そのタケイオタツノ命の長男が阿蘇氏を継いで父を祀ったのが阿蘇神社らしく、次男は科野国造として諏訪大社下社の神官を務めた金刺氏を継いでいることになっています、一応は。
もしこれが史実であるなら阿蘇神社と諏訪大社は出自が同じということになりますね。
そして今、諏訪では6年に1度の御柱大祭真っ只中です。

4月14日に熊本県で起きた震度7の地震で九州・四国・中国地方は激しく揺れたようですが、関西では兵庫や大阪でわずかに揺れた程度でした。ですから京都や滋賀では揺れておらず、しかし大阪から直線で200㎞離れた長野県の諏訪市だけがナゼか震度1なっていました。まわりは揺れてないのに。
たしかに諏訪はフォッサマグナの上にあるので地盤はゆるいようですが、諏訪市だけがフォッサマグナ上にあるわけではないため気になります。

4月10日に下社で3日間の「山出し」が終わり、4月15日には諏訪大社の神事の中でもっとも特殊な御頭祭が上社で執り行われました。
前宮の十軒廊には鹿の首(現在は剥製を使用)などが供えられ、しかも特殊な柱を建てます。
その特殊な柱がイスラエルの神事に用いられるものとそっくりらしく、参加した人に聞いたところによるとイスラエルからも調査団が来ていたようです。
失われた支族の足跡を探しているのでしょうか、ちゃーんと調べにくるんですね。
それで、震度7の揺れは御頭祭の前夜のことであり、阿蘇神社の楼門や拝殿が倒壊した震度6強の揺れは御頭祭当日の深夜でした。

ただいま諏訪では6年に1度の御柱祭り真っ只中でして、4月第1週に上社の、第2週に下社の「山出し」が終わり、5月の第1週と第2週にそれぞれ上社と下社の「里曳き」がおこなわれる予定で、いよいよ諏訪大社四社に16本の新しい御柱が建ちます。
諏訪の御柱祭りが熊本の地震や阿蘇山の火山活動に影響を与えているわけではないでしょうけど、それでも何らかの関わりを勘ぐらずにはいられない状況というかタイミングというか…………

先ほどのタケイオタツノ命。阿蘇神社のご祭神であり諏訪大社下社の神官金刺氏の祖とはなっていますが、まぁその話は神話の範ちゅうを出ないので個人的にはそのままを史実とは捉えていませんが…………何しろ阿蘇神社の社伝でタケイオタツノ命は神武天皇の孫になっていまして、それこそが神話であって史実とは異なりますが…………何らかのカタチで縁があるかもしれず、それに対しては真面目に調べているところです。
いっそのこと阿蘇神社は再建する際、摂社・末社に諏訪の神を勧請して(すでにあるなら失礼)申年と寅年に御柱を建てるとかしていただいたらどうでしょう。
諏訪の氏子さんたちの御柱を建てる技術はすばらしく、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に建つ柱も諏訪の氏子さんが建てました。もちろん重機などはいっさい使わずに。

それはともかく阿蘇神社は肥後国の一ノ宮、諏訪大社は信濃国の一ノ宮、さてどんな歴史が隠されているのでしょう?