「諏訪古事記 番外編その12」

諏訪なるは
この龍体のヘソなるを
知りておるかや人々よ
メビウスの
輪の交点に位置するは
“ス”と”ワ”なりしを知りおろう
“ス”から巡りて”ワ”で閉じる
オンバシラを交点に建て
それを巡る人々よ
「8」の字巡りをされしとき
真なる世界 巡り来る

神ゴトを避けて逃げて隠れて無視してきましたけども、とうとう次なるものが来てしまいました。
“この龍体”とは日本列島のことでしょうか?
とにかく、地面に麻紐でメビウスの輪を作ってその交点にオンバシラを建てよとのことですが、オンバシラは細くてもいいようで、ちょうど長野県で栽培された麻の茎をいただいたのでそれを建てることにします。

とはいっても、どこに建てるかはまだ決めてません。
どうせ11月までは毎月2回の諏訪通いが続くのでそのうちに判るとは思いますけど、ひょっとしたら今回は岡谷かもしれません。
んっ、岡谷?
岡谷も調べてみるとこれまた面白くて、8月1日に諏訪大社下社(春宮・秋宮)でおこなわれる夏の遷座祭・お舟祭り後に、岡谷在住で諏訪大社のルパン三世笠原大総代とお会いして古い資料をいただくことになってますので、ついでにいろいろと聞いてみます。

岡谷は縄文中期の大集落が見つかってますし、何より謎めいているのはモレヤ神vsタケミナカタ明神の戦いです。
モレヤ神は鉄の輪を持ち、タケミナカタ明神は藤の枝を持って戦った結果、タケミナカタ明神が勝ったことになっていますが、その伝承が残るのは天竜川が諏訪湖から流れ出したすぐのところにあり、川をはさんで洩矢神社と藤島神社が対峙しています。

先日、NHKの諏訪特集でこの話の解釈を”縄文vs弥生”の戦いであったと説明していましたけども、本気でそう思ってんでしょうか?
諏訪研究仲間の数人に感想を聞いてみたところ、全員が共通して”そんな単純な問題じゃないだろ”ってあきれてました。
学者が現代人の思考で導き出した合理的な結論が古代史を全面解決するのなら、世の中みーんな幸せですってこと。

で、だったらどう解釈すればいいんだってことですが、これがまたやっかいな話でして、モレヤ神の持っていた鉄の輪は守矢家に伝わる鉄鐸と関わりがあって実は諏訪の地ではかなり古くから独自の製鉄技術が伝わっていたのではないかとか、いやいや侵入者のタケミナカタ明神こそが鉄の武器を持ち込んだのであって藤の枝で戦ったのはモレヤ神であろう。その証拠に今でも諏訪大社の御柱大祭では藤の根で編んだ綱を使うではないかとか、タケミナカタ明神が持っていた藤の枝とは藤原氏(不比等か?)から枝分かれした藤原一族が諏訪を侵略したことを表しているとか、さらには伝承を伝える諏訪円忠作「諏方大明神縁起絵巻」(1356年)はタケミナカタ明神の諏訪侵入を正当化するための作り話であって、だから昔から信仰されていたモレヤ神を悪賊あつかいしているではないかとか、あるいは…………あぁもう飽きた、やめよ。

そうだ、思い出しました。NHKの諏訪特集では御柱を曳くすべての綱が今でも藤の根で編まれているように放送してまいたが、まったく違います。
現在そのように藤の根で綱を編んでいるのは原村や富士見町などに限られていて、しかも長~い綱の一部分だけです、藤の根で編むのは。観ていて悲しくなっちゃいました、NHK。
それにあの番組、上社(前宮・本宮)を取り上げた内容のくせに、御柱大祭での木落としは下社の木落とし坂の映像を使っていて、あれでは観ている人が誤解するでしょうに。もっとマジメにやってくれませんでしょうか、NHK。

モレヤ神=鉄の輪vsタケミナカタ明神=藤の枝の戦いが何を意味するのかの答えが出てないので、とにかく岡谷へ行ってまいります。麻紐と麻の茎を持って。