糺日本書紀 part1

part0にも書きましたが、「糺日本書紀」は、”ただす(の)にほんしょき”と読みます。
「諏訪古事記」の原稿を書き終えた翌週、いきなり新しい課題が突きつけられ、今まであちこちに天武天皇を追いかけてきましたが、どうやら次は天智天皇です。つまり双方を知れとのことなのでしょう。

始まりの舞台は福岡で、しかも糸島とか志賀島じゃなくて予想外の遠賀川流域でした。
遠賀川流域には魅力的な古墳がたくさんあり、以前から行きたかった地域なんですが、10月1日に遠賀川の河口付近で急きょ「遠賀開闢 第1弾 “宵祭り”」をおこなうことになってしまいまして、それをpart0で紹介しました。

まず足を踏み入れたのは古遠賀の鞍手地区です。
鞍手は5年前に第1次および第2次の福岡整体教室でアシスタントをしてくれた女性の地元で、この鞍手地区が面白いのなんのって。
鞍手には剣岳なる小さな山があり、剣神社や八劔神社が8社ほど点在しているんですが、アシスタントの女性の姓が”劒(つるぎ)”なんです。
彼女が暮らす地域はかつては剣村と呼ばれていたそうですが、今や地名としての”剣”は残っていないとのこと。
しかし剣北・剣南小学校やJA剣支店、剣第二保育園などは今も存在するため、いつどのように地名が消えたのかを調べてもらっているところです。

それで、鞍手の剣岳とか剣神社の”剣”はヤマトタケルと結び付けられていて、剣岳の麓には熱田神社(写真1)までありました。

熱田神社を訪ねたところ、やはり東京からも研究者が調べに来ているとかで、ヤマトタケルが実在ではないにしても、そのモデルになる人物あるいは故事があったのでしょう。
ただし熱田神社の御祭神は天津神系の名前がズラリと並び、そこは名古屋の熱田神宮に祀られる反天津神系(反ヤマト王朝系)とは異なるところでした。
とはいえ、のちに祀られたのかもしれず、今のところは判断しないほうがよさそうです。

鞍手で面白かったのが古月横穴墓群でしょうか。
“古墳”の名は付けられておらずパンフレットも案内板も「古月横穴」になっていました。古墳時代のお墓ではないからでしょうか。
写真2と写真3がそれですが、古代豪族のお墓で、かつては遠賀湾に面して造られたのでしょう。

玄室内は朱で文様が描かれていて、九州には装飾古墳がたくさんあって魅力的ですね。
九州の人には判らないかもしれませんが、装飾古墳って九州以外ではとても珍しいんですよ。
今のところ装飾古墳は全国で約600基が見つかっていますが、その大半は九州中北部なんです。

他にも鞍手には鎧塚(よろいづか)古墳群や新延(にのぶ)大塚古墳、それに登り窯の古門窯跡など、半日ではとても回りきれるものじゃなかったです。
そして問題は古月横穴とか古門窯跡、古物神社などの”古(ふる)”でして、てっきり「古い」という意味かと思っていましたが、布留のことなんですか?
だったら鞍手はモノノベの本拠地?
奈良県天理市の石上(いそのかみ)神宮の御祭神そのものじゃないですか。
ひょっとしたら
フルヘ ユラユラトフルヘ
ヒフミヨイムナヤ……
の”フル”もそうなのでしょうか?

ということで、まったくもって何から手をつけていいのかさっぱり判らない状態になりましたけど、九州も面白すぎる。さーて、どうしましょう。

古月横穴墓群の前に選挙用のポスターが貼ってあり、ここは麻生太郎氏の選挙区なんですね。思わず写真を撮ってしまいました。
けっして麻生氏の顔に落書きなんてしたりしてませんよ、ホントに。してませんって、そんなこと。しちゃダメなんですから。