対馬、再び

4月に長崎県の対馬へ古代史を調べに行ってまいりました。
前回は和多都美(わたつみ)神社のイソラヱビス(磯良エべス、写真:1)などを調べることが目的でして、イスラエルへ行く直前の2009年の9月でしたので、ほぼ10年ぶりになります。
10年前は着いた翌日が旧暦8月1日だったため、ちょうど和多都美神社では年に一度の例大祭の日でして、そのあたりは「ヱビス開国」に詳しく書きましたので省略します。
今回は神社伝承ではなく真面目に古代史を調べてまいりまして、それを弥栄古代史研究室に書くつもりでしたが、これがちっともまとまらないため、ひとまずニュースで対馬旅行的にまとめました。

今回も対馬出身の阿比留さんがお伴をしてくださり、さらには対馬の古代史研究家として活躍される永留史彦さんにガイドをお願いすることができ、古代史漬けの3日間でした。
永留さんのお父上である永留久惠さんは対馬の古代史研究における第一人者で著書も多数あり、もちろんボクも本を読んでいますのでとても楽しみにしておりました。

で、今や対馬は韓国でした。観光客は韓国人ばかりだし、道路は工事中の看板までハングル語で(写真:2)、島の北端から釜山までわずか49.5㎞なんですが、そこまで行くと携帯電話は海外になって笑っちゃいましたよ、ホントに。
空は厚い雲におおわれていても展望台からは釜山の山の稜線が肉眼でも見ることができ、夜なら釜山の夜景に韓国の人々の暮らしをあれこれ想像できて楽しいでしょうね。
ちなみに、釜山から対馬までフェリーに乗って片道3000円で来られるそうです。

古代において対馬は韓半島から日本への中継地でしたが、中でも新羅との関わりが深かったようですが、そういった話題については弥栄古代史研究室でお話しすることにして、とにかくお刺身の美味しいことったらありゃしない。
夜は厳原の居酒屋さんへ繰り出すのが楽しみで、2日目の夜はどうやってホテルに帰り着いたのか記憶にありませんが、お刺身が美味しかったことだけは覚えてます。それと、朝起きたら机の上に見知らぬパンと空になったアイスクリームのカップがありました。きっと帰り道にコンビニで買ったのでしょうけど記憶にございません。

地元の人の案内がないとおそらく行き着けないでしょうけども、女連(うなつら)の巨大な立岩(写真:3)や、”でんでん虫島”と呼ばれるスフィンクスのような岩(写真:4)は迫力ありました。

来年には(再来年かも?)厳原に巨大な博物館が完成する予定なので、さらに古代史を追求するためにまた訪れてみたいと思っております。
今回も対馬の皆さまには大変お世話になりました。


写真1


写真2


写真3


写真4