糺日本書紀 part19

古代史についていろいろと書いてきましたが、その解釈において大訂正があります。
これまでは日本書紀のデタラメを暴くにあたり、日本書紀に描かれている世界の中で糺そうとしてきました。つまり、日本書紀は史実でないと否定しつつも、日本書紀の枠の中で物事を解決しようとしていたわけです。
とはいっても唐や三韓(百済・新羅・高句麗)、それに韓半島南端にあった伽耶諸国の歴史と比較しつつ、当然ながら倭人(日本人)であると考えがちな天皇(大王)やその近辺の人物が、少なくとも飛鳥・奈良時代までは渡来人もある程度は含まれているであると理解してました。そう、政治の中枢はに外国人もけっこういたのだと。
しかしここへ来て……………………

しかしここへ来て、その考えを根底から覆さなければならなくなってしまいました。というのもその時代、政治の中枢にいた天皇(大王)や大臣はほとんどすべてが渡来人。唐や百済・新羅・高句麗、伽耶だけじゃなく、西アジアやペルシャなど中東地域から来た外国人で占められていたようなんです。
どうしましょう。

これまでもアジア全体の流れから日本の古代史を解明している本をけっこう読んできました。けど、いったい何が書いてあるのかちっとも理解できないし、その前に読めない漢字だらけで、初めて見る漢字だってたくさんあるんですから。
いいですか。
例えばですよ、”大莫離支淵蓋蘇文”だとか”突厥可汗達頭”って、読めますか?
これらはまだマシでして、”吐火邏人乾豆波斯達阿”とか、”阿悉結闕俟斤都曼”なんて読めないでしょ、これ。
“乙相賀取文”だとか、”将契芯何力”もそうなんですが、人の名前なのか役職名なのか、そこには地名が含まれているのかさっぱり判らないんだから。それで気が付くといつの間にかウトウトしてしまい、ハチもこの有り様です(写真)。

地名に至っては韓半島のばかデカい地図を買ってきて、それと照らし合わせながら読んでるんですが、昔の地名なんて出てやしません。今ではマジで韓国へ地図を買いに行こうかと考えてます。

それで大訂正なんですが、そのひとつが聖徳太子は実在してたかもしれないということ。
反蘇我勢力の天智や鎌足たちは、蘇我氏の功績を隠すためにまずは架空の聖徳太子を創作します。それで良き政策は聖徳太子がやりましたよ。蘇我氏は悪いことばかりしてたんです。だからボクたち(天智や鎌足)は正義の味方として蘇我氏を抹殺しちゃいました。偉いでしょ。立派でしょ。といった具合に。
ですから、聖徳太子は架空であり、その実態は蘇我馬子であり蘇我蝦夷ではなかろうかという今までの見解を訂正しなければならないかもしれません。
ただし、聖徳太子が実在していたとしてもそれは外国人でして、その人の名前は先ほどの解読が難解な人名中にあります。
この説が本当に正しいとなると、歴史の教科書をすべて書き直さねばなりませんけど、政府は認めないでしょうね。

続く