「糺日本書紀」part 24

日本書紀を読んだことはありますか?
一応は日本の正史とされていますが、これがまた摩訶不思議といいますかオタンチンと申しますか、読み方を理解しないと読んでいてちっとも面白くないですし、アホ臭くなってきます。それにときどき腹も立ってまいります。
ですが、読み方を理解すると思った以上に史実が隠されていて、本当は何が起きていたのかを読み取ることができるんです。
編者の苦労が偲ばれます。大変だったのでしょう、政府(朝廷)や政治家(為政者)の嘘や暴挙を隠しつつ真実を残すのは。

日本書紀で天武11年(682)8月12日に
「大地震があった」
とあります。
これは世の中の出来事を自然現象や天変地異として表している”讖緯説(しんいせつ)”であり、実際に地震が起きたのだと考えていては歴史を理解できません。
ではシンイセツで地震は何を意味しているのでしょうか?

シンイセツでの地震とは、大地=家臣あるいは民衆が動くことを意味し、つまりクーデターです。
日本書紀の天武期においては頻繁に地震が起きてまして、天武9年9月23日、10年3月21日、6月24日、9月18日、11年1月19日、3月7日、7月17日などなど。
中には実際の地震も含まれているかもしれませんが、ほとんどが家臣や民衆の反乱、あるいはクーデター未遂です。
そして先ほどの天武11年8月12日にはついに大地震が起きたことになっています。
フツーの地震と違い大地震です。
この大地震は天武が殺されたことを暗示しており、歴史上は天武15年まで天皇は天武になっていますが、天武は天武11年8月に殺されています。
日本書紀には天武がどこで殺されたかも解明できるようにしてありますが、今回はシンイセツがテーマなので省きます。

そして面白いのが、大地震の翌日8月13日に
「3本足の雀がおりました」
とあるんですが、これは天武が死んだことで皇位を争う大津皇子、草壁皇子、高市皇子を表しているんですね。実際に足が3本の雀がいたわけではありません。

天武が殺された翌年、日本書紀では天武12年(683)になっていますが、正月2日にも3本足の雀が献上されており、いよいよ皇位争いが激しくなってきたのかと思いきや、2月1日に
「大津皇子が初めて朝政をお執りになった」
とありまして、実際は大津皇子が即位したことを誤魔化しているにすぎません。
日本書紀は大津天皇と次の高市天皇を歴史から抹殺してますので、大津天皇が殺されるまで天皇は天武にしてあります。

天武期には日蝕や月蝕も何度か起きていますが、シンイセツでの日蝕とは国王(日本の場合は天皇)の威厳に陰りが出てきたことを表しています。
太陽=国王(天皇)で、姿が隠れてしまう自然現象は、その国王(天皇)の時代はそろそろ終わることを知らせているんですね。
月蝕についても、シンイセツでは国の貴人が死ぬことを告げているんですが、わざわざシンイセツで伝えているのは、反対派勢力に殺されたからなのでしょう。

他にもシンイセツでは
「季節外れに大雪が降った」
「風が吹いて木の枝が折れた」
「冬に水が凍らなかった」
「春に咲く花が冬に咲いた」
「東から西へ彗星が落ちた」
などたくさんあり、自然現象とはまったく関係のない政治的な情勢や事件が起きたことを知らせてくれています。
そして感心してしまうのが、それぞれにはっきりとした具体的な意味があるということ。
じゃなきゃ、風が吹いて木の枝が折れたなんてことをわざわざ歴史書に残す必要なんてありませんから。
ちなみに、枝が折れたのは父が子に先立たれたことであり、大風で木が抜けたなら王朝が倒れる予兆です。
彗星が落ちたのは、外部から侵入者があったということ。
高句麗から兵が送られててきたのか、あるいは唐が放ったヒットマンが上陸したのかは前後の文章や、中国(唐)・韓国(百済や新羅)・北朝鮮(高句麗)の歴史書と比較してみる必要がありますが、とにかくシンイセツを理解してこそ真なる歴史が読めてくるというお話しでした。