カミオカンデ

今から約16万年前のこと。太陽系から16万光年かなたの大マゼラン星雲で、ひとつの星が超新星爆発を起こしました。
超新星爆発といっても、実際は星が寿命を迎えたことで大爆発をするため、正確には“超老衰爆発”です。

昔むかし、かに座の中でも超新星爆発があり、夜空に突然ものすごく明るい星が現れたので、それを発見した当時の人には星が生まれたように見えたのでしょう。
それで現在でも老衰による星の爆発を超新星爆発と呼んでいます。

16万年前のその時も、爆発直前に大量のニュートリノが全方位に放出され、その一部は太陽系めがけてまっしぐらに宇宙空間を突き進んで行きました。
16万年前といえば、旧石器時代以前のこと。日本では3万5千年よりも前の様子は判っていませんし、世界でも判っているのはせいぜい8万年前まで。
なので16万年前の地球は、ギャートルズ以前というわけです。

さて、時は現代へ。1983年のことです。
東京大学の小柴昌俊教授らにより、岐阜県神岡に建設されたカミオカンデで、陽子崩壊の観測が始まりました。
カミオカンデの“カミオカ”は地名の神岡ですが、“ンデ(NDE)”は核子・崩壊・実験の頭文字です。核子とは、原子核を構成する陽子と中性子のこと。

んで、陽子崩壊についてを説明すると長くなるため省きますが、この実験は失敗に終わりました。待てど暮らせど陽子が崩壊しなかったからです。

しかしカミオカンデ建設には税金が5億円投入されています。
国民に対し申し訳ないと考えた小柴教授は、カミオカンデをニュートリノ観測のための施設に改良することにしました。

そして迎えた1987年1月1日、カミオカンデ稼働。ついに本格的なニュートリノ観測が始まりました。
が、小柴教授はこの年の3月に東京大学を退職される予定で、カミオカンデは戸塚洋二教授らが受け継ぐことに。

ところが、観測開始からわずか8週間。2月23日16時35分35秒~48秒にかけて、11個のニュートリノをカミオカンデが捕えました。
そうです。16万年前に大マゼラン星雲を旅立ったニュートリノが、その瞬間に地球を通過していったのです。

ニュー トリノは人間も地球も簡単に通り抜けるため、今のところ捕まえる技術はありませんが、カミオカンデ内部に満たされた超純水の原子核にぶつかったニュートリ ノが電子を弾き出し、その電子が発するチェレンコフ光をカミオカンデ壁面の光電子増倍管がキャッチするんですけど、言ってること判ります?

話を戻して、もしカミオカンデの改良工事が2が月遅れ、観測開始が3月1日だったら、16万年も旅して地球にやって来たニュートリノは誰にも知られず宇宙のかなたに飛んで行ってしまったことでしょう。観測開始が2月24日でもダメです。

16万年も旅して、残りがたったの54日でカミオカンデが稼働したのは、いよいよ人類が神の素材を明らかにする時代に入ったからなのでしょう。

16万年という時間は人間の感覚だと長すぎてよく判らないので、1年に縮めてみます。
すると、16万年に対しての残り54日は、1年で表すと12月31日23時59分31秒です。
“ゆく年くる年”も佳境に入り、そろそろ新年の挨拶をする準備をしている時間。まさに神憑り的なタイミングでした。

ニュートリノを観測するのに欠かせないのが、カミオカンデ内部の壁面にズラリと並んだ光電子増倍管です。
直径50センチある電球の王様みたいなそれは、浜松ホトニクス(旧浜松テレビ)が製作したもので、高性能世界一です。今では世界中の実験施設で使用されています。
それまでは直径が20センチのものが最大でしたが、小柴教授らが浜松ホトニクスの社長に頼み込んで無理矢理作ってもらったそうです。

小柴教授の誕生日は1926年9月19日。
社長さんの誕生日が1926年9月20日。

超新星爆発によるニュートリノを観測したのはこれが人類初のことで、小柴教授は2002年にノーベル物理学賞を受賞されました。
つづく。

μニュートリノ418より。

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