カミオカンデのニュートリノ研究が評価されたため、スケールアップしたスーパーカミオカンデの建設が許可されました。
カミオカンデでは3000トンの超純水を1000本の光電子増倍管で観測していましたが、スーパーカミオカンデは容量を17倍にして、5万トンの超純水を11000本以上の光電子増倍管が見張ります。
1996年4月1日、ついに観測が開始され、2年後には戸塚洋二教授らが「ニュートリノ振動」の存在を確認しました。
それまで、ニュートリノには質量がないと考えられていて、大学の教科書にもそう書かれていたそうです。
が、ニュートリノ振動が確認されたことにより、ニュートリノにもわずかに質量があることが判りました。
ニュートリノには“電子ニュートリノ”“ミューニュートリノ”“タウニュートリノ”の3種類が確認されていますが、これら3種類のニュートリノは別々に存在しているのではなく、ニュートリノ振動によって姿を変えていたのでした。
つまり電子ニュートリノがミューニュートリノになったり、タウニュートリノが電子ニュートリノに変化したりと。
これは素粒子物理学における大発見でして、ノーベル賞がもらえるか否かではなく、いつもらえるのかが焦点とされていたのですが…………
残念なことに、受賞を待つことなく戸塚教授は2008年7月10日、ガンのため他界されてしまいました。まだお若かったのに。
ノーベル賞は生きている人にのみ与えられるため、日本は国家としても財産を失ったわけです。
戸塚教授曰く
「宇宙の誕生、進化そして死を決めているのも、結局は素粒子と、素粒子間に作用する法則なのである」
スピリチュアルサイエンス最大のテーマは、その素粒子に人の意識はどこまで影響を与えることができるのか?
そして、人の意識は素粒子として物質化するのか?
それがはっきりすれば、神と呼ばれる作用が明確になり、神の出どころもはっきりすることでしょう。
戸塚教授が存命中、スーパーカミオカンデ内で大変な事故が発生しました。
2001年11月12日、内部の超純水を入れ替え作業中、水圧により光電子増倍管の1本が破損し、その衝撃波が次々と連鎖的に他の光電子増倍管も破壊したため、結局11146本中6779本が破損。
スーパーカミオカンデは外側にも本体を囲むように水槽があり、そこに備えてあった20センチサイズの光電子増倍管も1885本中1017本が破損したため、全体では約7800本の光電子増倍管を失うことになってしまいました。
このときの衝撃は、近くの地震計も揺れをキャッチしています。
誰もがスーパーカミオカンデはもう終わりだと悲観しているところ、窮地に立たされた戸塚教授は1年後の復活を宣言。
それを聞いた世界中の物理学者からもたくさんの応援メールが届いたそうです。
1年後、2002年10月に入るとすぐにスーパーカミオカンデ内へ超純水が注がれ始めました。
満タンまでにはかなり時間がかかりますが、戸塚教授は10月8日から観測を始めることに決定。
不完全な状態ではありますが、11ヶ月ぶりにスーパーカミオカンデが稼働しました。
そしてそして、稼働を開始した10月8日の夜、小柴教授のもとへ1本の電話がかかってきました。
戸塚教授からでしょうか?
いえ、違います。
スウェーデンの王立科学アカデミーからです。
小柴教授にノーベル物理学賞を授与すると。
冬のさなか、凍てつく奥飛騨の神岡。
スーパーカミオカンデ内が5万トンの超純水でいっぱいになったのは、寒さが厳しさを増し始めた12月10日のことでした。
事故から13ヶ月、ついに本格稼働までこぎ着けました。
同じ日、12月10日のストックホルムでは…………
タキシードに身を包んだ小柴教授のノーベル賞授賞式が盛大におこなわれていました。
このときノーベル化学賞を受賞したのが島津製作所の田中耕一さんで、世界中に“○”に“十”の紋が発信されたのでした。
つづく。
追伸
「カミオカンデ」に、昔むかしにも“かに座”で超新星爆発が見られたと書きましたが、“かに星雲”の間違いです。かに星雲はおうし座にあります。
μニュートリノ418。