いよいよあと2週間になりました。
昨年3月の”中之島ブルース数霊”以来になりますが、1月24日(土)に大阪で数霊セミナー&数霊ワークが開催されることになりました。
セミナーとワークを1日でおこないますので、内容は超盛りだくさんになりそうです。
先日、アベノハルカスを通り抜けました。
買い物や見物に行ったのではなく、その向こうにあるたこ焼き屋の”やまちゃん”へ行くために通り抜けただけなんですけど。
それで、大阪の味を堪能いたしました。
いよいよあと2週間になりました。
昨年3月の”中之島ブルース数霊”以来になりますが、1月24日(土)に大阪で数霊セミナー&数霊ワークが開催されることになりました。
セミナーとワークを1日でおこないますので、内容は超盛りだくさんになりそうです。
先日、アベノハルカスを通り抜けました。
買い物や見物に行ったのではなく、その向こうにあるたこ焼き屋の”やまちゃん”へ行くために通り抜けただけなんですけど。
それで、大阪の味を堪能いたしました。
「8」にて知らす 「88」の
「8」の理(ことわり) 弥栄に
尾張始まり(尾張は締まり)
終わりの地
尾張の御針(おはり)は熱田の地
分水嶺になりぬべし
…………(続きは後で)
天武天皇にばかりスポットを当てておりましたところ、業を煮やしたのでしょうか、こんなのが届きました。八坂入彦さんに関することでございます。
八坂入彦は第10代崇神天皇と尾張大海媛の間に生まれていますが、崇神天皇をどう捉えるかが悩みどころで、単純に神武=崇神ともいかないところが難しくもあり面白くもあります。
それで、「8」は何を意味するのでしょうか?
「8」はもちろん”八坂”の「8」ですけども、「8」や”八坂”で思い出すのはスサノヲノミコト。
それに日本は大八洲、八百万の神々、八咫鏡に八尺瓊勾玉、八咫烏…………そうそう八咫烏についてですが、八咫烏と三本足の烏は別物です。
背中の真ん中あたりは、けっこう内臓からの情報がつまっているんですね。
胸椎は1番~12番まであるんですけど、5番あたりから10番ぐらいまでは「内臓・海老蔵・ナウマン象」って昔から云われてますよね。云われてませんけど。
深田整体の場合、胸椎の5番は汗の関係で観ることが多いですが胃の影響もはっきり出ます。
11番はホルモンの分泌を主に観ていますので、今回は5番~10番までを考えたいと思います。
とはいえ、胸椎7番~11番へはショックを与えることで四十肩・五十肩(変な呼び方だ。他に呼び方はないのか?)にも効果がありますし、特に11番は性の問題に深く関わっていて、臓器以外からの情報もたくさん見つけることができますが、今回は臓器からの情報に限りましょう。
※整体教室では四十肩・五十肩の場合、肩甲骨で対応するようにしています。
今回は身体の回復力についてをお話しいたします。
身体の働く方向としては、現状の問題点を治そうとしかしません。
いつもいつもその問題点を治す方向に向かおうとするばかりです。
身体が自ら悪い方向へと進んで行こうとすることはないんですね。
身体はただただ治りたがっているだけ。
治す力が発揮できないのは、身体が治そうとする力よりも、悪しき生活習慣や片寄り疲労と普段の想念が、治りたがる力を上回って身体に負担をかけているからです。
なので回復力を取り戻すには、治りたがる力の度合いが、身体にかかっている負担を上回ればいいわけです。
そのための手段は無数にあり、あらゆる手段が世の中に出回っていますが、即効性がありなおかつ持続性もあり、安全でお金もかからず道具も物品も必要なく、施術する側にも負担がない手段となると限られてきます。
天武天皇が遷都先に信濃国を選んだ理由につながるかは判りませんが、気になることがあります。
万葉集を古代韓国語で読み解いたイ・ヨンヒ著「天武と持統………」では、第2代綏靖(すいぜい)天皇と第14代仲哀天皇と第40代天武天皇が同一人物であると。
第2代・第14代・第40代を憶えておいてください。
第2代綏靖天皇は欠史八代に含まれるため実在と考える必要はありませんが、異称として「カム”ヌナカワ”ミミノミコト」と呼ばれています。
そして天武天皇は「アマノ”ヌナハラ”オキマヒトノミコト」。
綏靖天皇の「ヌナカワ」は”渟名川”と書き、天武天皇の「ヌナハラ」は”渟中原”と書きますが、古代韓国語では共に「ヌナカハ(=ヌナカワ)」の読みになり、意味するところは「沼生まれ」になるそうです。
信濃の国の一ノ宮といえば諏訪大社ですね。
諏訪大社の主祭神タケミナカタは、母の名をヌナカワ姫と申します。
同じヌナカワですが、天武天皇が遷都先に信濃を選んだことに関連性はないのでしょうか?
関係者各位にはすでに年始のご挨拶を冬至に済ませておりますが、太陽と地球の位置関係がフシダラな現在の太陽暦での新年、それでも明けましておめでとうございます。
大自然に呼吸を合わせれば冬至が大晦日であり元日でもありますので、冬至または翌日から12月末までの間に初詣へ行くと、掃除はしてあるし参拝客は少ないしでとても気持ちいいです。
ナゼか2015年の初詣は冬至の当日、愛知県小牧市の田縣(たがた)神社と大縣(おおあがた)神社での参拝になりました。
田縣神社は大きな男根が、大縣神社の姫の宮は社の奥に女陰が祀られていることで知られています。
また、その近辺は尾張の地を治めていた豪族が支配する地でもあったため、ヤマトタケルを調べるための取材参拝でした。
そうだ、「遷都高天原」にも両社は登場しています。
漢王(あやのみこ)は天智の異父兄ですから、天智より当然のこと年上になります。
天武を天智の弟としながらいろいろ矛盾があるのは、漢王がどこかで名前を改め大海人皇子として歴史に登場したからではないか?
といった、わりと正統的な仮説をvol.8の最後に紹介するつもりでした。
それだと天武が年上であっても簡単に説明がつきますので。
ただし、遷都先がナゼ信濃かについては、天武天皇(大海人皇子)=古人大兄皇子説の方が都合はいいですけどね。
話は変わりますが、vol.8で不比等と持統天皇が怪しい関係だったとしたら、と書きました。
当時は子供を母方の家で育てていたので、父が同じでも母が異なる場合は兄妹や姉弟は他人だとされます。
なので6~7世紀の王族には異母の兄妹が結婚する例がたくさんありました。
ですが、同母の兄妹や姉弟の場合、恋愛は近親婚になるため大きな罪になるんです。
で、不比等と持統は?
昨年7月に我が家へやって来たコンゴ出身(カメルーンかもしれない)のタランドゥスオオツヤクワガタ君が死んでしまいました。
天武天皇は「天文遁甲(てんもんとんこう)」と呼ばれる占いに精通していたようです。
“天文”とは天体の動きで吉凶を占う占星術のことであり、”遁甲”は呪術の一種で戦の勝敗や農作物の出来を占う手段でして、どちらも中国から伝わってきています。
のちの陰陽師みたいですね。
さて、どうしてこんな話を持ち出したかと申しますと、もし天武天皇が信濃国を遷都先に選んだ理由(あるいは理由のひとつが)が「天文遁甲」による占いだとしたら?
そうなると残された文献などから歴史をひもとくことが困難になってしまいます。
しかし現代とは違って、古き時代は長く祭政一致で「マツリゴト」をおこなってきたでしょうから、それを推し量らずして歴史の謎に迫れるのかは難しいところです。
※「マツリゴト」とは、祭り・奉(まつ)り・祀(まつ)りだけがマツリゴトはでなく、”政”もマツリゴトと読み、祭事と政治は別々でない=祭政一致で国を治めることです。
もしも古人大兄皇子の新しい名前が大海人だとしたら………
大海人皇子の前半生はまったく不詳であり、歴史に突然出現しています。
もし残された歴史の通りに大海人皇子(天武天皇)が中大兄皇子(天智天皇)の弟だとしたら、大海人皇子の前半生が何も記されてないのは不自然極まりないわけですね。
天武天皇は第40代の天皇なのに、生まれた年が判っていません。
※天皇の呼称としては初代でして、大王(おおきみ)として第40代ということです。ただし、第15代の応神天皇以前は存在があやふやなので、実際は何代目なのか判りゃしませんけども。
天武以前の天智(第38代)も斉明(第37代)も推古(第33代)も継体(第26代)も生まれ年は定められています。
とにかく、第18代の反正天皇以降で生まれ年が判ってないのは天武だけです。
変でしょ。ねぇ、変でしょ。