685年(天武13)に天武天皇は三野王(美濃の王)を信濃に派遣し、その年に現在の松本市朝間温泉に行宮を造って信濃遷都を具現化しました。
天武天皇はどうして信濃の地を遷都先に選んだのでしょう。
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長野市内には現在でも「尾張」の名前が残っていまして、町名としては北尾張部(きたおわりべ)と南尾張部、そして尾張神社も存在しています。
近くには美和神社もありまして、境内入口の鳥居が、奈良県桜井市大神(おおみわ)神社の拝殿奥に隠れる三つ鳥居(三輪鳥居)ですので、御祭神はニギハヤヒでしょう。
もちろんのこと尾張国一ノ宮の真清田(ますみだ)神社も、東谷山の尾張戸(おわりべ)神社も御祭神はニギハヤヒです。
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同じ長野市で、松代の皆神山はかつてUFO神社が話題になりましたが、山頂の皆神神社境内には熊野出速雄(くまのいずはやお)神社があります。
御祭神の一柱「古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)」は、645年乙巳(いっし)の変で蘇我入鹿が殺害された後、古人大兄皇子も謀反の疑いで中大兄皇子(天智天皇)に殺された………ことになっていますが、実は皆神山に隠れていたとしたら…………
