「石徹白社中(いとしろしゃちゅう)」

11月8日~9日の白山ツアーでは、根の国の神々に向けた懺悔の神事を、岐阜県郡上市石徹白の「白山中居(ちゅうきょ)神社」でおこないました。
白山信仰における三馬場(ばんば)
・美濃の白山長滝神社
・越前の平泉寺白山神社
・加賀の白山ヒメ神社
を巡るツアーでしたが、白山の古き神々は石徹白の白山中居神社に封じられているため、三馬場+中居神社のコースを組みました。

最初に訪れた石徹白の白山中居神社には、古き神々が封じられているだけでなく、「石徹白社人騒動」と呼ばれる悲惨な歴史が残っておりまして、今から260年前、雪深い石徹白で真冬の凍てつく1月に、着の身着のままの姿で村をいきなり追放された村人の数は530人。
実に全村人の3分の2にあたりまして、その中には老人・女性・子供も大勢含まれていました。
頭まで埋まるような雪の壁に行く手を阻まれ、死の行軍で凍死・餓死をした人の数は70余人…………

白山ツアーで、バスいっぱいの参加者さんの感想は全員が口を揃えて「中居神社」か「平泉寺」に感動しましたでして、誰一人として白山ヒメ神社の名を挙げなかったことは、今や何を求めて神々の社を訪ねているのかが、よーく判りましたし見事に予想通りでもありました。

中居神社がある山の麓の郡上市では、1754年(宝暦4)に壮絶な郡上一揆が起こっており、その様子は緒方直人さんが主演で古田新太さんも出演されている映画になっています。
DVDも出ていますのでぜひご覧いただきたいのですが、とにかく”壮絶”の一言に尽きます。

そんな郡上一揆と時を同じくして起きたのが「石徹白社人騒動」でして、原因についてを書き出すと長くなりすぎるので省きますが、昭和30年代までは陸の孤島と呼ばれてきた雪深き石徹白から、裸足も同然で村を追い出された人々の耐えがたき苦しみを想うと、胸が苦しくなってきます。

家財道具ひとつ持たず散り散りになった村人の数は530人。
山を下りる途中、雪に埋もれて命を落とした凍死者・餓死者は、判っているだけで70余人。
生き残った人はさらに苦しく惨めな日々を送らなければならず、物乞いしか生きる道がなかった人々は「石徹白乞食」と呼ばれながら迫害に耐えたと残っています。

以前にもそれについて書かれた本を読みましたが、新たに読んだ「宝暦郡上一揆外伝  石徹白社人騒動」(上村武住著、ブイツーソリューション)には騒動についてが詳しく書かれており、大きな衝撃を受けました。
白山(“ハクサン”ではなく”シラヤマ”)信仰について調べているついでに読んだんですけど、今の時代がいかにありがたいかが痛切に感じられ、すぐにグチが口を衝いて出る自分が恥ずかしいし情けないしで、先人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。読み終えた今でも。

世の中って、残されているごく一部の歴史と、忘れられている圧倒的多数の歴史によって成り立っているのですね。
先人たちへ感謝の気持ちを忘れずに生きることができれば、人はもっともっと幸せを実感して日々を送ることができるはず。
ご苦労なされた先人たちに深く感謝いたします。

写真は「赤」の宇陀と「白」の白山を結ぶための祭壇。
この祭壇の前で根の国の神々に向けた懺悔の神事が、全員参加でおこなわれました。
宮司さんがわざわざ拝殿からお供え用の台を出してくださり、これもありがたかったです。

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