「遷都信濃国 vol.9」

漢王(あやのみこ)は天智の異父兄ですから、天智より当然のこと年上になります。
天武を天智の弟としながらいろいろ矛盾があるのは、漢王がどこかで名前を改め大海人皇子として歴史に登場したからではないか?
といった、わりと正統的な仮説をvol.8の最後に紹介するつもりでした。
それだと天武が年上であっても簡単に説明がつきますので。
ただし、遷都先がナゼ信濃かについては、天武天皇(大海人皇子)=古人大兄皇子説の方が都合はいいですけどね。

話は変わりますが、vol.8で不比等と持統天皇が怪しい関係だったとしたら、と書きました。
当時は子供を母方の家で育てていたので、父が同じでも母が異なる場合は兄妹や姉弟は他人だとされます。
なので6~7世紀の王族には異母の兄妹が結婚する例がたくさんありました。
ですが、同母の兄妹や姉弟の場合、恋愛は近親婚になるため大きな罪になるんです。
で、不比等と持統は?

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「遷都信濃国 vol.8」

天武天皇は「天文遁甲(てんもんとんこう)」と呼ばれる占いに精通していたようです。
“天文”とは天体の動きで吉凶を占う占星術のことであり、”遁甲”は呪術の一種で戦の勝敗や農作物の出来を占う手段でして、どちらも中国から伝わってきています。
のちの陰陽師みたいですね。

さて、どうしてこんな話を持ち出したかと申しますと、もし天武天皇が信濃国を遷都先に選んだ理由(あるいは理由のひとつが)が「天文遁甲」による占いだとしたら?
そうなると残された文献などから歴史をひもとくことが困難になってしまいます。
しかし現代とは違って、古き時代は長く祭政一致で「マツリゴト」をおこなってきたでしょうから、それを推し量らずして歴史の謎に迫れるのかは難しいところです。
※「マツリゴト」とは、祭り・奉(まつ)り・祀(まつ)りだけがマツリゴトはでなく、”政”もマツリゴトと読み、祭事と政治は別々でない=祭政一致で国を治めることです。

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「遷都信濃国 vol.7」

もしも古人大兄皇子の新しい名前が大海人だとしたら………
大海人皇子の前半生はまったく不詳であり、歴史に突然出現しています。
もし残された歴史の通りに大海人皇子(天武天皇)が中大兄皇子(天智天皇)の弟だとしたら、大海人皇子の前半生が何も記されてないのは不自然極まりないわけですね。

天武天皇は第40代の天皇なのに、生まれた年が判っていません。
※天皇の呼称としては初代でして、大王(おおきみ)として第40代ということです。ただし、第15代の応神天皇以前は存在があやふやなので、実際は何代目なのか判りゃしませんけども。

天武以前の天智(第38代)も斉明(第37代)も推古(第33代)も継体(第26代)も生まれ年は定められています。
とにかく、第18代の反正天皇以降で生まれ年が判ってないのは天武だけです。
変でしょ。ねぇ、変でしょ。

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「遷都信濃国 vol.6」

685年(天武13)に天武天皇は三野王(美濃の王)を信濃に派遣し、その年に現在の松本市朝間温泉に行宮を造って信濃遷都を具現化しました。
天武天皇はどうして信濃の地を遷都先に選んだのでしょう。

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長野市内には現在でも「尾張」の名前が残っていまして、町名としては北尾張部(きたおわりべ)と南尾張部、そして尾張神社も存在しています。
近くには美和神社もありまして、境内入口の鳥居が、奈良県桜井市大神(おおみわ)神社の拝殿奥に隠れる三つ鳥居(三輪鳥居)ですので、御祭神はニギハヤヒでしょう。
もちろんのこと尾張国一ノ宮の真清田(ますみだ)神社も、東谷山の尾張戸(おわりべ)神社も御祭神はニギハヤヒです。

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同じ長野市で、松代の皆神山はかつてUFO神社が話題になりましたが、山頂の皆神神社境内には熊野出速雄(くまのいずはやお)神社があります。
御祭神の一柱「古人大兄皇子(ふるひとおおえのおうじ)」は、645年乙巳(いっし)の変で蘇我入鹿が殺害された後、古人大兄皇子も謀反の疑いで中大兄皇子(天智天皇)に殺された………ことになっていますが、実は皆神山に隠れていたとしたら…………

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「時空間日和」2/7 in 一宮市

2月7日(土)、愛知県一宮市で「時空間日和」開催。

「時空間日和」は前半と後半でテーマが異なる2部構成になっており、映像や音楽に合わせたナレーションと、その間を綴るトークが三次元世界と異次元を結びます。

前半のテーマは”時空を超えた意識”を身につけることです。
エジプト・イスラエル・シルクロードなどの映像とともに時空を超越した感覚を体感し、さらにはそれを日常の生活の中でも活かすことができれば、それが多次元的な生き方につながるはずです。
未来はすでに経験した過去かもしれず、過去は今後に経験するであろう未来だとすると…………これまで信じてきた時間の概念を外してしまいましょう。

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「”一家に一人、便利なプチ整体師”養成教室」

12月で神戸教室5級クラスと美濃教室4級クラスが終了いたしました。
第2期美濃教室5級クラスも1月に終了予定で、2月からは京都・米子・第2期福山教室の5級クラスが始まります。

毎回のことなんですが、わずか5日間のコースでよくぞそこまで成長されたと感極まる想いが溢れてきます。
5級クラスの場合、最終日は独自で内容を組み立て、時間配分も考えながら相手に整体する練習をしますが、ほとんど誰も質問せずに自分で感じ、自分で考え、与えられた時間をこなしてまして、感動的であり、ボクとしては暇です。
福岡教室なんて、その時間中に「大丈夫ですか? 何か質問は?」と聞いたところ、「集中できないから話しかけないで」って。
大したもんでしょ、ホント。
“一家に一人、便利なプチ整体師”、いっちょアガリです。

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「遷都信濃国 vol、5」

草薙剣は尾張氏の血筋が海を渡ってやって来る以前から、代々受け継がれてきた剣なんじゃないんでしょうかねぇ?
それで、ヤマトタケル(と呼ばれてる人)は剣を身内から直接受け継いだか、それとも尾張氏の血を引くミヤズ姫かその親族である誰かから託されたのか。
少なくとも伊勢で授かったのではないでしょう。

もしもですよ、崇神天皇の皇后で尾張氏の娘の大海媛が剣を受け継いでいて、それを皇子の八坂入彦に託し、さらに入彦は娘の八坂入姫が嫁入りの際に授けた。
八坂入姫は景行天皇に嫁いだことになっていますが、景行天皇は紀元前13年生まれで、亡くなったのは143歳(古事記では137歳、日本書紀は106歳)のデタラメな設定です。
実はヤマトタケルの存在を隠すために景行天皇を創作してヤマトタケルにかぶせた。
本物のヤマトタケルは景行天皇になってしまっているので、別人でヤマトタケルなる皇子を出現させて荒々しく描くことでヤマトタケルを陥れ、その功績を景行天皇のものにしてしまった。
で、あとはヤマトタケルがどこかで死んでくれればいいわけで、その舞台を伊吹山にしたのだとしたら。

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「遷都信濃国 vol、4」

播磨の国の風土記にも尾張氏の名前が出てきます。
また、尾張氏をたどると奈良県葛城の高尾張邑(たかおわりむら)に至りますが、まずはvol.3の続きで美濃の神淵神社についてを。

天武天皇(当時はまだ大海人皇子)が美濃の神淵(かぶち)神社にスサノヲを祀ったのは(伝承が正しければ)”壬申の乱イブ”と言っても過言でない672年6月のこと。
美濃の国の一ノ宮、南宮大社は金山彦が祀られているほどなので、天武天皇は戦いに際して鉄と火の神々から守護を受けたかったのだと思います。

神淵神社は本殿東側に「蛇骨神社」がたたずみ、御祭神は麁正之剣神霊(アラマサノツルギノシンレイ………十拳剣の別名)。
本殿西側の「蛇尾神社」は御祭神に草薙之剣神霊が祀られています。
奈良県天理市の石上(イソノカミ)神宮が大和の国の武器庫であるように、ここ神淵神社は美濃の国の剣保管庫のようで、「遷都高天原」の325ページ~に詳しく書きました。

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「遷都信濃国 vol.3」

大海人皇子。おおあまのおうじ、即位前の天武天皇です。
この”おおあま”って何でしょう?

大海人皇子は尾張の国とも縁が深く、大海人の”アマ”は海部氏の”アマ”ではなかろうかと考えられています。
また、海部氏といえば丹後の籠(この)神社を思い出しますね。
籠神社の御祭神は天火明(アメノホアカリ)、ニギハヤヒであり、海部氏始祖にあたります。
尾張連はニギハヤヒの子アメノカゴヤマが祖でして、んー、天武天皇はどのような繋がりがあったのでしょうか?
そして尾張氏とは?
尾張氏は近江や丹波とともに歴史から葬られたままになっていますので、ぜひとも謎を明かしたいです。

ヤマトタケル(と呼ばれてる人)に戻りますが、父(ということになっている)景行天皇には、美濃の久々利(くくり)から八坂入姫なる娘が嫁いでいます。
八坂入姫は第13代成務天皇の母であり、ヤマトタケルにとっては叔母さんになります。

八坂入姫の父は八坂入彦。
八坂入彦の父は第10代の崇神天皇で、母は尾張大海媛。
ん、大海?

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