4月1日から新年度ですが、4月1日は見た目がそのまま「41」であり、”新年”も言霊数は「41」になります。
シ=15、ン=1、ネ=24、ン=1、合計41。
そんな「41」なる4月1日、甲子園で優勝したのは福井県の敦賀気比高校で、”福井”の言霊数は「41」です。
フ=28、ク=8、イ=5、合計41。
「ニュース」カテゴリーアーカイブ
「遷都信濃国 vol.15」
天武、その時はまだ大海人皇子ですが、壬申の乱で大海人が兵を挙げたのは、近江朝廷の大友皇子が吉野を襲うために美濃で兵を集めていると報告を受けたから、と日本書紀は記しています。
報告したのは大海人の舎人のひとりで、美濃の朴井雄君(えいのおきみ)なる男。
彼は私用で美濃へ行った際、近江朝廷が尾張・美濃の国司に命じ、天智の陵を作るために人夫を集めているが、それらに武器を持たせているのを見てしまった。見ーちゃった、見ーちゃった。
つまり近江の大友は、天智の陵を作るためとの口実で人夫を集めてはいるが、実は吉野の大海人を討つことが目的なのだと。
それを聞いた大海人はやむを得ずに、どうしてもやむを得ずに、なんともやむを得ずに兵を挙げた…………ことになっていますが、さーて本当かな?
「遷都信濃国 vol.14」
第15代応神天皇は八幡神社にて誉田別(ホンダワケ・ホムダワケ)尊の名で祀られていますが、誉田が別れた元は尾張氏の誉田真若ではなかろうか、そんなお話しをいたしました。
※”別(ワケ)”は”和気(ワケ)”とも書くため、”ワケ”が必ずしも親→子や本家→分家へ別れたことを表すわけではありませんが、ここでは父スサノヲを雷(イカズチ)、子ニギハヤヒを別雷(ワケイカズチ)との解釈に倣っています。
日本書紀によりますと、応神天皇は誉田別尊の名前を他人(?)と交換して手に入れたことになっているんです。
ときは応神天皇の太子時代で、場所は福井県敦賀市。おそらく現在の気比神宮あたりでしょう。
意味が判らないです、名前を交換したってことが。
「祝 姫路城リニューアル」
木曾御嶽山が噴火した9月27日の年対称日にあたるのが3月27日ですが、その日は姫路城が美しく生まれ変わりますね。
年対称日におめでたいことがあって良かったです。
数霊シリーズで、言納の店「むすび家 もみじ」は犬山城の城下町にありますが、日本の城で火災などから逃れて当時のままの姿が残っているのは犬山城を含めて4つのみ。
犬山城・松本城・彦根城・姫路城がそれなんですが、2004年まで犬山城は日本で唯一の個人所有の城でした。
所有していたのは犬山城最後の城主成瀬家でして、ボクの知人に成瀬本家から別れた成瀬氏がいますが、お父様はまさに殿様のようなお人です。
「考古学からの古代史」
しばらく「遷都信濃国」をお休みしていますが、決して途中で終わったわけではありません。
今までは神社伝承から古代史を推測してきましたが、ここのところ限界を感じてまして、しばらくは同じ古代史でも考古学的な見地から考えたかったので、各地の古墳や資料館、市役所の文化財保存課や教育委員会などを駆け巡っていて、それで「遷都信濃国」がほったらかしになっていた訳です。
各資料館の学者や学芸員、文化財保存課の担当者などから詳しく話を聞くことで、古代史の(古事記・日本書紀などをもとにした)神話的解釈がいかにデタラメだらけかを改めて思い知らされ、それはもう悲しいほどです。
「IS(イスラム国)」関連
「ISIS(またはISIL)」を”イスラム国”と訳すのは誤解を招くのでさっさと止めてもらいたかったんですが、どうやら「IS」で落ち着きそうです。
そうでないと、同じイスラム過激派の「ヒズボラ」は”神の道”なんていう極めて誤解を招く名前だし、スリランカの独立派反政府勢力「LTTE」をいちいち”タミル・イーラム解放のトラ”と呼ばなければいけない。
クルド人勢力の「PUK」なんて日本語では”クルド愛国同盟”になって、それはいったいどんな組織なのか悩んでしまう。
ロシアの反ユダヤ・ロシア国粋主義の「RNFP」は”パーミチャ運動ロシア人民戦線”ですよ。名前だけ聞くと可愛く感じてしまうのが恐ろしい。
はい、ISです。
「立春状」のお返し
毎年、年賀状をいただいた人にはお返しに「立春状」をお送りしておりましたが、今年は訳あって「春分状」(地球暦0度)または「夏至状」(地球暦90度)に変更いたします。ご了承ください。
「春夜喜雨」 by杜甫
「遷都信濃国 vol.13」
イスラエルの目的のひとつは、ユダヤ人よりも先にカナンの地(パレスチナ)で暮らしていた人々の痕跡を消してしまい、この地に住み始めたのは自分たちが最初であると訴えること。
それは、神が我々だけにこの地を与え給うたのだと、カナンの地の占領を正当化するために。
藤原不比等が尾張氏を歴史から抹殺しようとしたのも同じようなこと。
尾張氏族ら一部の豪族たちは、のちの支配者らが権力をもってしても配下に治まることを拒否し、それでもなお人々からの支持を受けて勢力を維持し続けていたのでしょう。
すると支配者側には彼らに対する恐怖心が生まれてきます。
その恐怖心はやがて怒りへと変わり、徹底した尾張氏潰しにつながったのだと思います。
あれっ、このコーナーのテーマは天武天皇がナゼ遷都先に信濃国を選んだのかでしたが、パレスチナの話まで出てきてしまい、収拾がつかなくなってきました。
「遷都信濃国 vol.12」
「8」の話をしましたが
「1+2+3+4+5+6+7+8=36(ミロク)」
これを「苦(9)なしの理(ことわり)」と呼ぶのだそうです。
苦なし、です。苦なっしーではありません。
クナッシー、クナッシー…………違うから出てくるなって。