「諏訪古事記 番外編その9」

2月15日、諏訪大社本宮拝殿。
上社(前宮・本宮)の氏子さんたちが御柱祭りで曳く御柱を決めるための抽籤(ちゅうせん)式がおこなわれるため、朝から氏子さんたちが町内ごとで揃いのハッピを身にまとい、本宮へ続々と集結しています。こちらもオリジナルのハッピを着て参道にある通いつめたオヤジさんの店へ。
本宮の拝殿は関係者と各町内の代表しか近づけないため、他の氏子さんは境内に設置された大型モニターか、あるいはテレビ中継で抽籤式の様子を見守っています。
もちろんオヤジさんの店でもテレビでは抽籤式が映し出され、次第に盛り上がってまいりました。
各ブロックの抽籤総代さんが引くクジは予備クジ本クジなど合わせて3回。
今回はどこの町内が本宮一之御柱を引き当てるでしょうか?

オヤジさんの店で早速ワンカップを呑み始めたところへ「氏子の御柱」を歌う葦木美咲さんとプロデューサー氏が現れ、しかもボクたちのテーブルの真ん前にマイクを設置するではないですか。
そして美咲さんの木遣りで路上ライブが始まり(写真1)、やがてワンカップの空きビンは5本になりました。朝から5合も飲んでしまった………

さて、そろそろ本クジが始まるようで、ついに氏子さんたちの御柱が決まります。
上社エリアは18町内が8ブロックに区分されているため、8人の抽籤総代さんがそれぞれ3回ずつクジを引き、3回目が本クジです。
そして今回、本宮一之御柱を見事に引き当てたのは、本クジを7番目に引いた「四賀・豊田」地区でした。(写真2:本宮一之御柱を引き当てて、喜ぶ氏子さんたちから胴上げされる四賀・豊田地区の抽籤総代さん。茅野市民新聞より)

えーっ、四賀・豊田ですか。
四賀・豊田といえば1月28日の早朝参拝で、ゆるーい感じの氏子さんの好意によって正式参拝にまで参加させていただくことができ、氏子さん以外は参加できないと思ってたので、とても貴重な体験になりました。
しかも四賀地区の副会長さんは下諏訪町立諏訪湖博物館で黒耀石の研究をされていて、お話を伺いに行ったこともありますし、早朝参拝の後に焚き火の前で暖をとっていたらバッタリお会いしたりもしているんです。
そうですか、四賀・豊田に決まりましたか。
四賀・豊田地区が本宮一之御柱を引き当てたのは1920年(大正9年)以来96年ぶりのことで、氏子の皆様、この度は本当におめでとうございます。

個人的にもっとも注目していた前宮一之御柱と前宮二之御柱は、それぞれ富士見・金沢地区と米沢・湖東・北山地区が曳行(えいこう)することになり、どちらも知り合いができましたのでほんの少しだけでも参加させてもらえれば嬉しい限りです。
ちなみに前回の祭りで本宮一之御柱を曳行した本宮のお膝元である中洲・湖南地区は、今回も本宮二之御柱を引き当てていました。

夜も茅野駅前の居酒屋で5合ほど呑み、翌日は諏訪周辺の縄文時代について調べたかったのでまずは茅野市の尖石縄文考古館へ。去年の夏から毎月のように訪れているため、入場の際に渡されるパンフレットを自宅に帰ってから数えたら7枚もありました。
館長さんは今からお出かけになるとのことで他の学芸員氏をつかまえて話を聞いているうちに、やっぱり黒耀石を調べないことにはいかなくなり、そのまま雪景色を楽しみつつ長和町の黒耀石体験ミュージアムへ。
ありがたいことに葦木美咲さんからミュージアムの館長さんを紹介していただいたので、忙しそうでしたけどムリヤリ引き留め質問攻めをしてしまいました。
詳しくは別の機会にしますが、本州でもっとも質の良い和田峠の黒耀石は青森の三内丸山遺跡からも出土していまして、どうやら信州和田峠の黒耀石は日本初のブランド品だったようです。(写真3:黒耀石でアクセサリーを作る体験もできます)

ただし、写真3の黒耀石は北海道産のもので、和田峠の透き通った黒耀石が欲しかったので、すぐさま下諏訪町立諏訪湖博物館へ四賀・豊田の副会長を訪ねました。
どれだけかはお話を聞くことができましたが副会長氏は頭の中は御柱祭りのことだらけで、しかも本宮一之御柱の場合は御柱を曳く人員を2500人確保しなければならないようで黒耀石どころではありませんでした。
祭りが終わったゴールデンウィーク後にまた訪ねてみます。

2016/ 2/17 13:08

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